初めてJAFのお世話になる

浜名湖SAの空



翌日からの全日本クラブ対抗に備えて、仕事の後静岡に向かって移動することにしていた。
前の晩に車の交換を済ませて、実家から借りたプリウスで、まずは後輩を経路の途中にある駅まで拾いにいく。


高速道路沿いのその駅からは、すぐに東に向かう高速道に乗り込める。
駅の構造がお互いによくわからなくて、小雨の降る中、少し合流に手間取ったもののなんとか無事に荷物を積み込み、いざ東へと名神高速に乗り込んで走り出したとたんのことだった。


特に何か手応えや振動といったものは感じられなかったが、急にスピードメーターの周辺の赤いインジケーターがぱぱっと点灯し、ナビゲーションのディスプレイに走行の中止を求めるメッセージが表示された。
ハイブリッドシステムの異常で、このままの走行は危険、すぐにトヨタの販売店に連絡を、という内容である。


うわ、とびっくりして、とっさにどうするかぐるぐると考える。
走行していたところは、様々な高速道が寄り集まっているところで、ジャンクションが次々現れるが、それが一段落するところまでパーキングエリアやサービスエリアは出てこない。
かといって、路肩ならどこでも停まればいいというものでもない。


ひとまず、車に負担のかかりそうな空調などを切って、左の車線に移動。少し走って緩やかな右カーブを抜けた後の直線に緊急用の電話があるところを見つけ、路肩に停車した。
気持ちを落ち着けて対策を考える。


時刻は18時半を回ったところだった。
トヨタの販売店から購入していれば、すぐそちら、ということだったのだけれど、この車は親子3代で半世紀近くにわたってお世話になったディーラーから買っていて、しかも昨年末に、あっけなくそこは倒産してしまった。
車検証などを入れたファイルを広げていくと、ハイブリッドのメンテナンスに関する書類から、そのディーラーが車を入れたおおもとの販売店がわかった。
個人的にはまだ付き合いのある、なくなってしまったディーラーでお世話になっていたメカニックの方にひとまず助言を求めてみることにした。


予測したとおりだったけれど、ハイブリッド部分の故障は、結局のところトヨタ以外では触れないだろう、ということなので、トヨタに電話をしてみることにした。
取扱説明書にある、サービスナンバーに電話をするも、17時を過ぎると受付が終了しているという、機械音のメッセージだったので、助手席の後輩に携帯で検索してもらってハイブリッドのメンテナンスをすることになっているおおもとの販売店の番号に掛ける。
プレートナンバーなどの情報で、その店から購入した車体だということは確認してもらえたが、その後代わった担当者の対応がひどかった。
まあ、インジケーターやディスプレイに表示されている情報だけでは何もわからない、というわけだ。今、高速の路肩に止めて困って掛けている、という状況の深刻さが全く伝わらない。
この先10kmくらい先のICまで走らせても大丈夫か、とか、現在停まっているところから最寄の販売店やらの情報など、こちらが最低限期待しているものに遠く及ばない。
「もう、この時間ですと、販売店も営業を終わってますしね」
「そこは、まだ大阪といいましても、ほとんど京都みたいなもんですから、ちょっとわかりませんね」
まだ明るい7時前の空の下なのに、真夜中に無理やりたたき起こしたかのような歯切れの悪さで、さもややこしい話に私は関わりたくない、とでも言わんばかりに、もぞもぞと無意味な同じ内容のせりふを繰り返す。いい加減頭に来て、「要は、何も助言できることも提供する情報もない、とそういうことですね」と確認したら、ぬけぬけと「はい」と言いやがったので、「わかった、もういいです」と切った。


仕方がない。事故のときに頼るものと思っていたが、こうなったら、こういうトラブルに通じているのは保険会社だ。
ディーラーの倒産のとき、そこに保険の代理店も引っ付いていたため、保険の担当者もこの間代わったばかりだが、それが幸いして、ごく最近、両親はいろいろ新しい担当者と話をしたばかりだ。個人事務所なのだが、なかなか頼りになりそうないい人だと聞いている。母親に事情を説明して連絡先を確かめ、早速電話してみた。


ひとまず現在の状況と、ここまでの経緯を説明した。
売店のやつらはしょうがないなあ、と言いつつ、まずはそこから脱するのが先決だから、保険についてるロードサービスを使いましょう、ということになった。JAFに入っていると、保険会社のロードサービスから転送されて、保険を使った回数としてのカウントもないのだとか。
保険会社のロードサービスは、さすがに対応が的を得ていて無駄がなかった。
何回も説明しているうちに、うっかりわたしが「名神」を「東名」といってしまったばかりに、東海エリアの担当者につながってしまう、というハプニングがあったものの、すぐ、近隣のエリアを担当するJAFから折り返し電話がかかってきた。


ようやく車を離れることができるようになり、追突される恐怖からは逃れることができた。
三角反射板を積んでいなかったので(普段乗っている軽自動車には積んであったのに!)ハザードとスモールランプをつけた状態で、100mくらいは離れておいてくださいね、との指示だった。
後輩と合流するときにはずいぶん降っていた雨が、すっかり上がっていたのは幸いだった。
ガードレールサイドに後輩と二人立ち尽くす。
携帯電話でチームの会長には報告して、明日以降の見通しが立たない、と伝える。
どうしたものか。代車が出てそれで移動を続ける、なんてことは可能なんだろうか。
経験がないのでこの後どうなっていくのかさっぱり見当がつかない。


JAFからの電話によると、実際にサービスカーが手配されてやってくるまでは、50分くらいかかるという。
どんどん暗くなり、あっという間に周囲は闇に包まれた。
明るく光る非常用電話の近くに停車したのは、正解だった。明かりがあると、ずいぶん心細さが和らぐ。
高速道路というのは、一瞬でそれぞれの地点を通り過ぎてしまうものだが、降りてみると、外側に避難できるように作られたガードレールの切れ目や、防音壁から外に出るための非常口、どの地点にいるかを示す表示板など、もしもの場合に備えた構造が、比較的短い区間ごとにきちんと備えられていることがわかる。


JAF経由で管理者のNEXCOにも連絡が入ったらしく、やがて高速道路上の保安を担当する車がやってきた。
免許を確認され、一通り事情を聴取される。
発炎筒とコーンをセットしてくれたおかげで、車の近くに戻ることができた。
律儀に車から前方100mほど離れているのが、よほど珍しかったらしく、持ち主がいないと焦ったそうだ。


しばらくしてようやくJAFのサービスカーがやってきた。
ひとまず最寄のICで降りるためにレッカーをセットしてもらう。
しかし改まって「どこまで引っ張りますか」と言われて困ってしまった。
結局トヨタのエンジニアしか車をいじれないとなれば、今夜はもうダメである。
何よりも車には競技銃が3丁も載っている。車をどこかにおいて帰る、というわけにはいかない。
結局最後は修理に出さなければならないのであるから、出所である奈良へ持って帰らなければならない。


JAFは15kmまで無料で引っ張ってくれるし、自動車保険にも何kmか、そういう免責がついているらしい。
お金の問題があるだけで、どこまででも引っ張っていきますけどね、ということなので、ひとまずすぐ先のICまで引っ張ってもらってから、保険会社の人と落としどころがどの辺かを直接相談してもらうことにした。


基本的に1km700円。保険会社の免責を加えると45kmは無料で引っ張ってもらえるとわかった。
奈良までの距離を思い浮かべて概算すると、私の頭の中ではたぶん2万円くらいでなんとかなりそう、という計算だった。
実家とも連絡を取り、引っ張ってもらうしかない、と結論した。


牽引中は、引っ張られる車の中に残っているわけに行かないので、サービスカーの運転席横に後輩と二人縮こまって乗せてもらい、一般道をゆっくりと奈良の実家に向かう。
やれやれ、やっと今回の件は一段落である。


さて、この状況で次にどうするか。
実家に頼んで、「交換」したパレットの方を使わせてもらって、再出発すれば、なんとか後輩の射群には間に合わせられるだろう。
ほかのチームメンバーの状況を想像して、まず今晩の宿をキャンセルする手続きを、今晩移動中で到着間際のはずのNさんにメールで依頼。折り返し電話があって、これは完了した。
今まさに海外に出発しようとしている会長には、翌日の見込みを伝えて、連絡終了。
問題は、翌朝9時からの私の射群にはどうやったってまともに間に合わせられないことだ。
チームの射座割を睨むと、今日から参加しているMくん、Sくんが明日同じ三姿勢のそれぞれ2射群・3射群で撃つことがわかる。他の種目との兼ねもなく、交代が可能だ。Sくんに現在の状況と明日の射群交代をメールで依頼する。
もともとは一緒にプリウスで移動することになっていたけれど、仕事の上がりが遅いために、新幹線での移動をお願いしたSさんにも連絡を取る。明日の朝は、私の車がいないので、Sくんに乗せてもらうよう依頼する。今日もし一緒に乗り合わせていたら、試合参加が危ういだけでなく、同乗してのレッカー移動も不可能で大変なことになっていた。何が幸いするかわからない。


今晩は、携帯電話が大活躍だ。23時ちょっと前に実家にたどり着くまでの間に、おおよその連絡と次の段取りをつけることができた。
JAFのサービスマンとの話では、ハイブリッド車に限らず最近の車は車載コンピューターの不具合が原因のひとつになっていることが増えて、結局メーカーに診てもらわないとダメということが多く、現場で車を何とか修理して再スタート、というケースはほとんどない、ということだった。
今回のケースでも、京都の入り口から奈良まで、というのは近い方ですよ。これがもしもう少し静岡に向かってからの故障だったらどうです?と言われて、あらためてゾッとした。
普段何気なくやっている遠征だが、車への信頼性がいかに大切であるか、を痛感する。故障ですらこれである。事故なんて起こしたら、本当にどれだけ大変なことか。
学生時代に石川での合宿に向かう途上福井で、乗り合わせた車が追突事故を起こしたことがある。携帯電話もなかった当時、周りの人にもずいぶん助けてもらって、その場は何とか乗り切ったが、同乗していた私たちが現場を離れた後の事後処理をしたSくん自身はもとより、Sくんの家族がどんなに大変だったかと、あらためて想像して悄然となる。
安全に移動することの大切さを身にしみて感じる。


実家に着いて、ひとまず軽く夕食を食べさせてもらって、一風呂浴び、後輩には仮眠を取ってもらう。
修理をどこに頼むか、父とネットで家から近い順にトヨタの販売店に3つほど見当をつけてから、私も少し眠る。
三連休の頭だから、どんなルートを取っても渋滞が容易に想像できる。
他人が走りたがらない時間に走るのが一番だ。


仮眠は3時間と決めて午前3時半に起き出し、4時前にはパレットで再出発した。
後輩の試合開始まで8時間弱あるから、多少何かあっても余裕を持って着けるはずである。


天候にも恵まれ、夜明けの薄明かりから爽やかな朝に変わり行く美しい空を楽しみながら、快調に軽自動車は走った。
浜名湖SAに午前7時ごろに到着し、ようやく一息つく。
朝ごはんを食べて、チームメイトに何とか大丈夫そうだと連絡を入れた。
そこからは、少し渋滞もあったけれど、後輩の試合開始の1時間前に到着し、試合に送り出すことができた。


長い一日だった。
後輩の撃ちはじめを見届け、自分の検査を終えたので、会場裏の駐車場で、夕方からの試合に備えてしばらく眠ることにする。


[fin]