調べ物


数日前、祖父が退院した。


入院前から兆候のあった、認知面の衰えは、入院期間を通じて日常的に母や叔母が接するようになってその実態が明らかになった。
入院を機に俳句関係の仕事を整理したのだが、これがタイミング的には本格的に大きな迷惑をかける手前ぎりぎりだったようで、これまでのニアミスや小さなミスの実態が整理の過程で露になり、ぞっとするやら、ほっとするやら、といった具合であった。


祖父としては、衰えに抗う上での張り合いであったことは確かだが、同時に相当の重荷でもあったようで、母が数々の関係者と連絡を取って、断りを入れることに抵抗を示すことはなく、締め切りや約束から解放されることに感じる安らぎの方が大きいようだった。
今までの祖父からは考えられないことだが、入院中に母たちが薦めても、原稿用紙やメモ帳を自発的に開くことはついに一度もなかった。


退院後、いったん自宅に戻ることにはなったが、もはや完全にひとりで生活することは覚束ないことが明らかであった。
朝夕のホームヘルパーを依頼し、母と叔母(と父)で分担して、連日祖父宅に通ったり、泊まったり、ということをしながら、次の展開に備えを進める、というようなことになる。


叔父の判断や行動がどうしても鍵を握ってはくるのだけれど、すでに父方の祖父を介護し看取ってきた両親が、おもに叔母を支えながら、叔父夫婦にいろいろ助言するという格好で動いていくことになりそうである。


私は今晩、明日の夜からの遠征で車を借りるために、実家に泊まることになった。
祖父をめぐる話をいろいろ聞いて、両親がいろいろな知人から情報を集めて、入所型の施設のいくつかに見当をつけていること、叔父夫婦とその情報を共有する具体的な資料が要ることがわかった。
ネットで検索して、両親が得てきた漠然とした情報から、各施設の具体的な情報を引き出す手伝いをする。
中には、私が生徒の職場実習や進路先の開拓で回ったことのある施設が含まれていたりして、思いがけず詳しい情報が提供できたりした。


叔父が、自分の父の認知の不調をなかなか認められないことや、介護の専門家に大きく委ねるような判断をすることに逡巡することについては、私の父もまたそうであったから、仕方のないことだとよくわかる。
これからがいろいろと大変であるが、だれかが大変な部分を背負い込んでしまうことなく、少しずつ解決していけるだろう、と楽観している。


しかし、私や相方が自分の両親をケアしなくてはならないときには、同じような解決策は取れそうにない。入所型の施設を選択肢に含めるに必要な財力が、親にも私たちにもおそらくない。
今でもおそらく「金次第」に心を痛める人は多いだろうが、今後その傾向はどんどん強くなるような気がしている。


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