スープ


このところ、本がなかなか読めない。


車内が、多少なりともプライベートに知的作業を行う唯一の空間なのだけれど、ページを開いてみても数ページともたず、がくっと寝てしまう。
珍しく眠気がないときも、夜になると目がくしゃくしゃして、眉間に皺を立てないと目が開けていられなくなる。
遅い時間だから、というわけでもないようで、幸いにして早く仕事を切り上げられたときの8時台の帰り道ですら、そんな具合だ。


今やっているように、自分の中にすでにある材料を、ただこねくりまわして引っ張り出すだけの、「軽い文章を書く」作業なら寝込まずにそこそこやれる。しかし頭に新しい考えや知識を練りこむ、「読む」という作業には耐えられないと見える。
ここしばらくの疲れ方のせいなのか、頭の怠惰や老化のせいなのか、困ったものだ。


重い身体を引きずって家に帰り着いたら、12時までの時間をやりくりして、夕食を摂り、洗い物を片付け、保育園の洗濯物を軽く水洗いして洗濯機に放り込み、翌日の朝食・弁当・夕食となるものを調理して、炊飯器をセットする。


ささやかながら、車内であれこれ本を読んで、自分なりに何かを得ているような感覚で、日々をなんとか支えていたのだが、それがうまくいかなくなってからは、こうやって文章に日常を刻んでおくという習慣で、日々の暮らしの中で手応えを感じる行為を辛うじて代償している。
それでも何とか「持っている」のは、家事自体の中にもある「手応え」のおかげだろう。
ちょっとした工夫や、気持ちの込め具合が、(たとえ自分にしか判らないささやかさではあっても)すぐにかたちになって表れてくれる。


生協で届く食材のパターンと、夜に何とか気力を振り絞って調理できる時間や作業量から、常にバリエーションを伴いながらも、ある程度、型ができあがってくる。
週に1度は、青物やもやし、にんじんの細切りを湯がいたものに、豆腐やごまや味噌をすり鉢で擂って合わせる「白和え」を作り、週に2-3度は根菜にきのこ類や肉類を組み合わせたスープを作る。
入れる具材の取り合わせや、味付けにはかなり自由度がある。その時々の冷蔵庫や食材貯蔵庫の具合に合わせて、うまくそれらを悪くなるまでに使い切ることを第一に、工夫を凝らす。


前の職場では、給食の計画を担当していた栄養師さんが、熱心に通信を作って栄養や調理のことについて書いてくださっていた。重度の障害を持っている生徒たちが通い、食事にはいろいろな配慮が必要なところであったから、制約も多かったと思うのだが、非常に低い価格で相当においしい給食が毎日食べられた。
塩分を控えつつ、食欲の湧くしっかりした味をつけるには、だしのうまみ成分や酸味をうまく使う必要がある、なんてことが生徒や保護者に向けた記事にわかりやすく書かれていた。
そのときの受け売りだけれど、ケチャップというのが結構調味料として重宝する。


いつまでも梅雨空でじめじめと蒸し暑いこのごろ。
ケチャップを少し使うと、塩の量はずいぶん少なくしても、確かにさっぱりしっかりと味がつく。
ずっとあれこれと作り続けてきたけれど、ここ2度ほどは、立て続けに作ったスープが際立っておいしくできた。
日々の積み重ねの中で、ささやかだけれど、ちょっとした「はげみ」になるできごとだった。


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