「一九〇五年」の彼ら
関川夏央さんは、浪人生だった頃から折に触れ読んできた書き手であるが、久々に(今の職場になってからは初めて)読んだ。
現代の人のあり方(の困難)についてのルーツは、近代日本の黎明期、特に近代文学のスタートにほぼ全て出そろっていた。
成熟から遠くなった現代において、成熟を模索するのであれば、早熟で性急に、現代と同じ悩みを生きた近代文学黎明期の担い手に学ぶことは多い。
そのことを教えられ、共感もしてこそ関川さんの著作に長く親しんできたのだが、久しぶりに新しく1冊読んで、改めて沁みた。
この1冊が特別、というわけではなかろう。変わってきたのは私だ。
ある程度仕事もして、父親にもなり、家のことなどもようやく子供の目線を脱しはじめて、既に頭には入っていた鷗外や漱石のキャリアの凄まじさ、藤村の不気味さなどが、身に迫って感じられる。
幸田露伴については、以前から3人めの祖父のように、親しみと畏れと尊敬のようなものをなんとなく持っていたが、それもまた感じ方にリアルさが増した。