さらば射手の日々

昨日(6月28日)、能勢射場で行われた西日本選手権に行ってきました。

生徒抜きで1人ひっそりと参戦。こっそり撃って、早々に退散。職場に立ち寄って仕事して帰りました。

大して点数を撃てもしない今、若い選手たちを最後まで観察したり情報交換などして、「コーチ業」を全うするのがあるべき姿なのでしょうけれど、ちょっと(気持ちの面でも)それもできなくて、なんとなく中途半端なわたし。

西日本、社会人と全日本、さらにはナショナルチームの選考会など、全国どこへでも次々と遠征に出かけていた頃が、懐かしく感じられます。

年齢による衰えを感じられるなら、それは幸せなことなんじゃないかと思ったりします。

大して感覚に衰えは感じず、非常識な日常による疲れさえ、普通の生活に戻して取れれば体力もそう落ちているとは思いません。状況の分析力は上がり、競技全体への理解も深まっていると思います。しかし一生懸命鍛錬し積み上げてきたものを大切に思うのは自分だけで、周囲のあらゆる方向から、取り組む時間や機会を遠ざける力が働き、引きはがされる様に遠ざけられています。それに抗うためにはさらに身を削ることになり、わけもわからないうちに全てが失われてゆくのです。
ああ、こうやって現役でなくなっていくんだ、衰えなんか感じさせてもらえないんだ、どんなに大事にしてきたものについても、自分では何も決めさせてもらえないんだ。
大事なものを犠牲にしているのに、私でなくてもいいようなことに駆り出され、それが人並みの出来だと陰口たたかれながら、取り返しのつかない時間が来るまで引き離されるのだ、と悲しい気持ちになりました。
そうなってから放り出されて、今のこのジレンマも「無かったこと」にされるのでしょう。

ああ!