新型インフルエンザ罹患


3日前の朝に、生徒の中に家族がインフルエンザを発症した、という者が複数いるらしいことを把握して、隔離・聞き取りをした結果、うち1名が濃厚接触者と判明し、その親族の発症日まで遡ってそこから1週間の出席停止を決める、ということがあった。


するとその日の午後に、体調不良で早退する生徒が現れ、その生徒は夕刻には高熱症状からインフルエンザらしい、ということになった。
翌朝には熱を出して欠席する生徒が新しく1名。昼前には、この生徒も昨日早退した生徒も、新型とおぼしいA型インフルエンザと正式に判明した。


学級の1割を越える生徒が新型インフルエンザと疑われる場合は、学級閉鎖をしなければならない。
またうちのクラスだけが・・・、と身構える間もなく、午前中元気だった生徒のひとりが昼休みに保健室へ不調を訴えに行き、すでに38度を越える熱だとわかった。
保護者と連絡を取り、迎えを依頼。この時点でこの生徒もほぼインフルエンザであることは間違いなく、1割はおろか3割近い罹患者を出して、閉鎖は決定的になった。


放課後に対策会議が緊急招集され、翌日からの学級閉鎖が正式に決まった。
また、他にも閉鎖の可能性のあるクラスがいくつかある、という現状が明らかになった。
会議後、せっせと学級閉鎖を伝える電話の準備をしていると、今日迎えに来てもらった保護者から連絡があり、検査の結果やはりA型だったとのこと。
体育大会を直後に控えた時点での学級閉鎖は、なかなか無念なものがある。


昨日は体育大会の前日予行演習だった。
肩入れするチームや生徒たちがいてこそ体育大会というのは面白いが、彼らがいなくなると、教員はただ進行をサポートする1スタッフでしかない。そればかりか、何と大会中に自分が戻る席すらない。


予行中にも他のクラスで新しい感染者の確認が相次ぎ、二人目の感染を確認したクラスも現れた。朝の内に隔離措置がなされて、そのまま閉鎖になったところが1クラス。午後の会議で閉鎖が決まったクラスがもう1クラス。
この2日間の爆発的な感染拡大速度には、震撼とさせられるものがある。騒がれるに値する、ただならぬ感染症である。


1つの学年に3クラスの閉鎖が出て、学年閉鎖も検討される中、今日の体育大会は何とか開催されることになった。
今日参加している生徒たちはみな元気で、感染を理由に欠席している者を一人だけ抱えているクラスが1つあるだけ、ということでとりあえず問題なく進行した。
昼休みには、明日以降の週末、代休と祝日を含む3連休後、いかに学校を再開するか、という案件で臨時の対策会議が開かれた。


私は得点集計の係で、午前中はテントの最前列に鉛筆と電卓を握り締めて座り、ひたすら読み上げや転記や計算をしていた。埃が喉によくない気がしてマスクをしていたのだが、炎天下でひたすら、そんなことをしていると、席を立ったときなどにちょっとふらふらする。
昼休みの臨時会議後、「こんなことを話し合ってるこちらが熱でもあるって言うと格好がつかんな」、と保健室に立ち寄ったついでに、半ば軽い気持ちで熱を測ってみると、37度以上あることがわかった。


・・・まずい。


保健室の先生に相談して、すぐに近くの開業医に頼み込んでもらい、午前の診察を終えて閉めかけている医院を待たせて、自転車で駆け込む。
「発症直後なので、検査しても多分出ませんが、まあ他の風邪症状も胃腸症状も扁桃腺の炎症もないのに、熱が38度もあるので、間違いないでしょう。インフルエンザです。」
と診断され、「タミフル」を出してもらうことになった。


あー・・・。


そそくさと職場に戻ると、関係者に頭を下げて報告し、午後の部を横目に早退する。


さあ、困った…。
1歳の娘と相方に伝染さないためには、すんなりと家に帰るわけには行かない。


家にいるはずの相方に電話を試みるが、何度やっても繋がらない。携帯だけでなく、家の電話も駄目。帰宅に掛かる1時間あまりの間、散々やってもだめで、心配になり、どちらかの実家なら何か知っているかもと、掛けてみるがやはりわからず、かえって心配を掛けてしまう。
家からほど近い私の実家には、ついてないことに、妹一家が幼い姪っ子甥っ子と遊びに来ているということだった。


家の真下まで帰ってきて、やっと電話が繋がる。最近置かれたマンションのロビーにある椅子にぐったり倒れこんで、はるか上にある我が家に携帯で語りかける。
相方は寝ていたと言う。さらには娘が電話で起きたと不機嫌に言われ、カチンと来る。大人なら、1歳の子が起きるくらいかけるまでに起きろよ、と内心毒づく。


感染をさせないために、こちらは38度の熱を押して、あれこれ考えて電話しているのに、「発症2日前から接触がある者は濃厚接触者だから、私たちも実家には行けない」、「私も仕事を休まなければならない」、「娘も保育園に1週間行けない」と、こちらに対して「大丈夫か」の一言もなく、延々とこちらもとっくに知った理屈を述べた挙句、「濃厚接触でも、今現に発症している者よりは相当ましなのだから、私一人が家に入って、娘と相方で実家に避難してくれないか」、という提案は却下され、私の方が、妹夫婦が帰るのを待って実家に行け、という結論になる。


病人の方を平気で追い出す論理に怒り、呆れ、「わかった」と一言言って、携帯の電源は切った。
どうにでもなれ、妹たちが帰る時間までどこかで耐えりゃいいんだろう、と重い身体を引きずって家を離れた。


病が内包する差別の構造は、想像はしていたけれど、かくも容易に内実を経験できるものであったか。冴えない頭でぐるぐる考えながら、どこへ行ったものか、足を止めぬままに、ぼんやりと考える。
どこかで、もたれかかって座るか寝転ぶかしたいが、人の多いところは感染をさせて迷惑をかける・・・。結局のところ滞在場所として、密閉空間はどこも駄目で、オープンエアでなくてはならない。


川沿いの遊歩道に上がり、ベンチを見つけて、荷物を枕に寝転がった。
幸い、今日はいい天気で、風も穏やかだった。


2時間もまどろんだろうか。日が傾くと急に寒くなってきた。
そろそろ実家に連絡を取ろうかと、携帯の電源を入れると、いくつかメールや着信記録があった。それらから伺うに、眠っていた間に、相方は自分の実家に帰る準備を進める一方で、私と連絡が取れないことが不安になって、迎えに来た義父に留守番を任せて探しに出かけるなど、相当にバタバタしたらしい。

メールには、「病気中なのに一人で自宅においていくことはできない、自分の実家に退去するから一時戻って、その後実家に行くように」、「話はつけた」、とあった。
外に放り出しておいて、「一人で置いておけない」もないだろう、と思ったが、探し回った相方を想像して、そこは少し済まなく思う。すでに話がついているというなら、実家には私から電話するまでもない。「家を退去する」という時間が近かったので、家に向かってずるずると歩き始めた。


退去するとしていた時刻ちょうどに家の下にたどり着いて、やれやれと思っていると、「トラブル発生で少し遅れる、少し待て」とメールがあり、仕方なく待つ。
マンションのロビーは、マスクをしてぼんやり待っているには、住人に怪しまれて居心地が悪い。顔見知りに尋ねられても、「新型インフルエンザに罹っていて、家に入れない」、とも言いにくく、それほど長くはいられない。
10分くらいそこで待ってみた後、「まるで不審者だな」と思いながらも、住人があまり使わない階段室に退散した。とぼとぼと上階へ登り、途中でへたりこむ。
鍵を忘れたわけでもないのに、自宅の間近で、俺は何をやっているのだろうと、体調の悪さと相まって惨めな気分になる。


やがて、「家を出た」と連絡があって、ようやく階段室を出た。
職場を出て4時間あまり。ようやくの帰宅である。ここまで持ちこたえたのは、タミフルのおかげだろう。
ご飯を温め、味噌や納豆を引っ張り出して、ひとまず空腹を満たし、ぼんやりとする。幸い熱は38度ちょうどくらいで持ちこたえていた。


妹一家の帰宅を伝える電話を待って、9時頃、バスに乗って実家に向かった。


着くと、マスクをしたまま2階の部屋に引きこもる。幸い、実家にはプラズマクラスターのついた空気清浄機があって、この部屋にいる限り、感染は食い止められそうである。


長い1日であった。
強力な加害者ともなりうる病の厄介さが身に沁みた。


[fin]