夏の読書


〈生物多様性〉入門 (岩波ブックレット 785)
生物多様性と私たち――COP10から未来へ (岩波ジュニア新書)
今年も淡路島に来た。
いつ慣れて緊張感がやわらぐのか、と先の見えない不安の日々。
しかし、この3日間は、休暇として子供たちとゆっくり過ごす。


ずっとお世話になってきた義父母とともにやって来たが、義母の体調がすぐれない。


夜、薄いものからでもと、本を読む。
どんどん読まなければいけない仕事になった、のに却ってなかなかそういう時間が取れないでいる。
これもまた不安の源。


(鷺谷いづみ:生物多様性入門)
(香坂玲:生物多様性と私たち)


[fin]

母校へ

大学の出身研究室に、おそらく卒業以来初めて伺った。
「仕事」として。
新しい、とは言ってももう何年も経つ研究棟に初めて足を踏み入れた。


すぐにでも、実験ノートを広げて、サンプルから蛋白を抽出し、二次元電気泳動を始められそうな気がした。
ずいぶん実験も、勉強もやりやすそうな環境になっていた。


植物の分子育種学 (KS農学専門書)
こういうところに来たい、と思った生徒に、確かなイメージを持って進んでいってもらうようにするのが、今度の新しい仕事。
14年のギャップを埋める作業は、まだ始まったばかりだ。


(鈴木正彦:植物の分子育種学)


[fin]

不安は、読んで

おかしい、と思う。
良くなっていない、ということを肌で感じる。
不安が募る。
しかし、なぜかどんどんと押し流されていく。
検証 大阪の教育改革――いま、何が起こっているのか (岩波ブックレット)
学校を改革する――学びの共同体の構想と実践 (岩波ブックレット)


うなずける内容を、確かな言葉でつづったものを、いまはただ探し、読んでいくことだけが、抗うすべである。


(志水宏吉:検証 大阪の教育改革)
佐藤学:学校を改革する)


[fin]

 今年もまた


今日は、近畿選手権だった。
50m種目は、この大会が国体の2次予選を兼ねている。


もともと2日間開催の予定だった。その場合、一般的な日程編成ではたいてい三姿勢競技は土曜日になる。
この土曜日は授業をしなければならない週だったので、一次予選終了時点では、棄権する可能性が高かったし、そうなるかもしれないとあらかじめ詫びてもいた。


大会日程が日曜日だけになって、さらには、日曜日は職場に行かなくてもなんとかなりそうなぐらいには余裕ができたので、いそいそとでかけた。


4月以降、私がどうにも仕事でアップアップしてしまっているがゆえに、ずるずると甘えて、新しい職場から近い相方の実家宅に一家で身を寄せるようなことになっている。家事から子どものことまで、義父母や相方にお世話になりっぱなしで、たまに取れた時間は射撃に使ってしまう、なんて、許されるのかどうか、というところだけれど、頑張って、と言ってもらえて、娘にも手を振ってもらい、車を走らせながら、つくづく私は恵まれていると思う。


前回は、半年ぶりに触れるSBだったが、今回は1ヶ月も間が空いていない。
膝射はどうにもならないだろうけれど、伏射と立射はこの間ので、ある程度は何とかなりそうだな、と試合に臨んだ。


50m3*40M
96 97 99 98 390
93 95 93 95 376
91 89 89 94 363 1129
今日は強風。それもめまぐるしく向きや強さが変わり、特に伏射の後半から立射の間は難しいコンディションだった。
冷静にうまく対処できてるなあ、と自分の射撃に感心しながら撃ち進めた。
立射は、前回気づいたことが、技術面で相当な核心部分だったようだ。結果にも現れているが、手応えを感じる。頑張って練習できていた時でも、これまでそう簡単に376点は続けて出せてはいなかった。ましてこの練習状況にこの風である。


膝射はどうにもならない。「これまでずっと完全にはわかっていなかった」ことを証明するために撃っているようなものである。とりあえず何とかしなければならないから、試合の中でごそごそレンチ片手にセッティングをいじりながら、膝射「のような」格好をしてごまかして撃っているだけである。90点を取るのがやっと。


それでも、伏射・立射の合計点数が参加者の中で抜群だったお陰で、京都のKくんに4点差の2位だった。国体予選としてはことしもこの種目トップとなり、ひとまず代表に内定した。そんな風になるなんて、4月の前半には思いもよらなかったから、また射撃の神様にエールを送ってもらったような、幸せな気持ちになった。


来週の10m種目が本命であるが、だからといってそれになにか備えられるわけではない。今日の立射の手応えを、一息つける合間にでも反芻できれば、上出来である。


綱渡りで日々を送る、不安と緊張はまだまだ続く。受け取った「エール」を糧にしのいでいきたい。


[fin]

1ヶ月


4月が終わる。


1日に転勤して以来ここまで、土曜も日曜も不安で休めなかった。
昨日今日とはじめて職場には行かず、「休み」にした。
でも、休むことへの不安が先立つような、緊迫した気分はずっと続いている。

国体の1次予選を兼ねた大会があったから取った休みだった。
見失ってしまった自分を少しでも思い出せたら、と、すがるような気持ちも少しあった。
撃っている間くらいは、今の状況を忘れられるかもしれない、と。


SBは昨年11月、学生の指導の傍らで1時間程撃ったのが最後、ARは石巻が最後。結果や勝敗は、本当にどうでもよかった。
こんな風に撃つのは、まちがいなくはじめてだった。
明るい春の陽気に佇む標的に向かってただ銃を構え、指が反応するのを感じる。
どこに当たっても、「あはは、そうか、そうなるか」と笑みが溢れる。
本当に幸せだった。


PとSはただ身体に任せて撃つことができた。ただ楽しむ、ということができるところまできていたのだな、と我が事ながら感心した。
それにひきかえKは、身体の中になにもなくて、あれこれ考えざるを得ず、苦しかった。


50m3*40M
98 98 95 94 385
94 97 95 90 376
89 93 87 92 361 1122


10mS60M
99 97 100 98 93 98 585


他県の予選に出る人がいずれも上にいたものの、思いがけず、いずれの種目も1位で2次予選に駒を進めることになった。その日に試合会場に行けるかどうかはわからない。でもチャンスがあるならまたがんばろうと思う。
今日の結果は、なんとか仕事をがんばってものにしなさい、と射撃の神様が背中を押してくれているような気もした。


ARの1位は、ながらく気にかけてきたTくんだった。すっかりりっぱになった彼と並んで表彰台に立ててうれしかった。彼ももう4回生。高校生の彼に会って、もうそんなに月日が流れたのか。


こんな雑文を書いてしまうほどに今日は少し安らいで、明日また不安の渦中に戻る。


[fin]

 関西学連総会


今年も総会の季節がきた。
選手強化に関わって2度の合宿指導をしてはいるものの、大会さえ碌に見に行けず、普段から活動に多く関わることはできずにきている。
理事や評議員のほとんどが同様に、少しずつ自分にかかわれる範囲でできることをして連盟を支えている。


スポーツに関する組織は、名前が立派で、網羅するエリアや(学校や地名のついた)下部団体数が多いから、どんなに大層な組織かと思われることが多い。しかし、ごく一部の有名で巨大な組織を除けば、ほとんどがボランティアだけで成り立っている、(面積は大きくても)薄くて細い組織である。


今年は、関西大学の凛風館が会場だった。


射撃スポーツは、扱っている道具が道具だけに、法令遵守・安全管理がまず最優先事項としてあり、そこに競技運営や選手強化、競技普及などの事業がぶら下がる構造になっている。他のスポーツでは、最大の効果を発揮する方法をストレートに模索できるところを、射撃スポーツでは、世論や警察組織の法運用など、刻々と「時局」に応じて変化する「最優先事項」の分析・対応がまずあって、それらと「事業」に乖離・齟齬がないかを常に慎重に測りながらしか検討できないもどかしさが付きまとう。折しも、銃刀法が改正された煽りがまだ落ち着かず、ここ数年は、どの辺りが落ち着きどころになるのかを探るところに大きなエネルギーが割かれている。


銃の所持許可を受けるには、まず猟銃等講習会というものを受けて、その受講証明書を得なければならない。法改正を機に、講習修了証明試験のハードルが高くなったらしく、受講しても試験がパスできないことが珍しくなくなった。「試験モノ」については相当に百戦錬磨のはずの、京大や阪大の1年生部員ですら、半分以上落とされたりしたから、多分間違いない(大学生の質が落ちた可能性も、理論上なくはないけど)。その後、それを受講すること自体のハードルも上がり、申しこめば受けさせてくれる、という感じではなくなってきた。また講習会後の難問をクリアして証明書を得ても、それをもとに所持許可申請を出すに当たって事前に調査があり、そして申請を無事に出したら出したで、もちろん審査も長期化している。書類の期限が切れるまで審査が長引く場合もあるらしく、それは暗に所持を許可しない、ということなのだろうと想像された。
各大学射撃部には、銃を所持できないまま12月を迎えた1年生部員がたくさんいる。ひとりも持てていない、なんてところもある。法の改正は、「教習銃」という中間的な制度をなくすものであったので、入部しても、銃の所持ができなければ、一切銃器には触れることができない。射撃部員だけれど、射撃ができないまま半年以上が過ぎたことになる。


今年度の新人戦は、銃所持者だけに門戸を開き、ビームライフルなど、未所持者への暫定的な参加方法を敢えて設けなかった。
支部長が示した方針のもとで大会直前に採られたこの決断には、陰に陽に反発があった。それを整理して全体化することが、今総会の陰のポイントだった。
形式の上にそれが現れるよう、私から議題を提出してあったのだが、支部長との事前協議で「決断」の真意は理解できた。総会の中では、実質的には自ら出した議題を取り下げ、提案支持者にその理解を求める発言をした。難しい役回りだったが、混乱なく総会は閉幕した。
新人戦に銃所持が間に合わなかったが、それ以後に所持できた者については、翌年度に「新人」資格が持ち越されることになった。


銃を扱いたいという学生を大勢集めることになる学生連盟は、彼らを社会的に安全な者の集団であると保障する役割を、組織として負わされている。
新銃刀法の登場だけでなく、法の運用方法までが変化し、私たちには見えない新しい内規に従って厳格に対応してくる警察。その動きに応じるのは、非常に煩わしい。競技普及は徹底的に妨げられ、更新手続きの煩雑化によって競技続行を断念する者も続出。協会員自体も大幅に減少した。その程度についての妥当性に議論の余地はあるかもしれない。しかしまず、法の下流にいる我々は、これが銃を巡る現在の社会情勢を反映している、のであり、「理解を得る」ために支払う必然のコストが変化した、と受け止めなければならない。
かつてはもっと低いコストで得られていたものが、今はそうは行かなくなった、ということだ。今の困難な所持状況が、「現在」の時代状況において新たに射撃競技に参入する上で満たさなければならない「基準」であり、最低限超えなければならない「ハードル」だということだ。
どんな調査が行われ、どんな判断がくだされているか、そこを問うのはまた別の次元の問題である。もちろん、忙しい組織であるから、警察側の手続きの怠慢も所持がなかなかできないケースの中には含まれているかもしれない。しかし、連盟や各射撃部は、警察組織との関係づくりをきちんと行い、然るべき手続きを無駄なく早急に踏んで、できるだけ早く許可を得る努力をする以外にない。こちら側にその「基準」や「ハードル」をどうこうする権限はないのである。ハードルを乗り越えてきたものだけを構成員として迎え入れる、それが自動的に組織を社会に対して保障する仕組みとなる。新人戦において、銃所持者だけに門戸を開く、とは組織としてのその意思表示である。「共に射撃を楽しみ、競いあうためには、まず越えよ」と。


他にもいろいろあって、今年は考えなければならないことの多い総会だった。


[fin]

 1歳

誕生日の朝



息子が1歳になった。


娘が1歳になった時のことを思い出す。
当時はまだ保育園に行っていなかった娘とは、ずいぶんと違う歩みになっている。
私と息子の普段の有り様は、スリングでぶら下げて一緒に朝ごはんを作ったり、洗濯を干したりと、これは娘の時と変わらない。


1歳の誕生日は娘の時みたいにマクロビケーキかな、と言ったら、ダイズがまだだから、マクロビケーキもダメなのだという。娘の時は、これはまだ、あれもまだ、と食べさせるものをいろいろ我慢する感じだったのに、それでも今の息子よりもずいぶんいろんなものを、もう食べさせてしまっていた。3年を経て、さして不自由を感じることなく、アレルゲンとなる恐れのあるものを避け、「安全」なものだけで、十分満足できるようになっている。幼い子を育てることが板についてきているのかしらと、こんな事で気づく。


朝までよく寝てくれることもあるが、それは本当に稀で、夜中にグズグズと泣いたり、ミルクを欲しがるのが少し早くなって4時台に泣き叫ばれたりする毎日だ。安定してぐっすり眠れるようになる日が待ち遠しい。
ハイハイが始まった時からお尻を高く持ち上げようとする動作が多く、すぐにでも立って歩こうとしてしまうのではないか、と危惧していたが、そちらも全然大丈夫で、今も移動はためらいなく高速のハイハイである。高いところへ手を伸ばしたり、覗き込んだりしたいときにだけ、しっかり何かに捕まって立つくらいだ。
娘は、1歳前後に長く「膝歩き」という、変わった移動方法を使っていた。保育園の先生にずいぶん不思議がられたが、保育園でたくさんの子供たちを見るようになって、その「特異性」がこのごろわかるようになってきた。そろそろ、立とうとしはじめてもいい時期ではあるが、運動の獲得としては実にきっちり手順を踏んできているという印象である。
言葉やコミュニケーションは、娘と比べるとかなりゆっくりだという印象。性差や個性もあるのだろうけれど、家の中で一対一でずっと話しかけられながら育った娘とは、環境もかなり違う。お姉ちゃんがたいていすぐそばにいて、それを追い掛け回している、というのは第1子にはできない育ち方である。


お祝いは明日明後日の土日のどこかでしようという予定である。
ここのところ姉弟で微熱が出て保育園に行けない、というのが続いている。今日は、昼の間に3人して相方の実家へ行ってしまった。
今晩は私だけが、自宅に帰ってきたので、誕生日だが一緒に過ごせなかった。明日、午前中の射撃関連の用事を済ませたら、会いに行こう。


[fin]