「一人ひとり」?「一人一人」?


今週と来週は、生徒たちを職場実習に送り出す。
ここまでの準備はなかなか大変であったが、実習期間に入ってしまうと少しほっとできる。
巡回や、実習先での不測の事態に備えての電話番や待機はあるけれど、いつもの、分秒刻みで追いまくられる日常とは違って、TO DOリストを睨みながら自分で仕事の計画を立てることができる。


普段なかなか手をつけられずに積みあがっている仕事を順番に片付けていく。
今日は、ひとまず、巡回を午前中に済ませて、起案を経て山ほど修正の入った研究紀要の原稿を、仕上げてしまうことにする。


原稿を集めて、構成して、冊子にする、というだけのことであるけれど、テーマに沿って書いてもらった実践報告は、文章の体裁を整えながら、説明を補ったり、図表を作り直したりする。
仮名遣いや漢字については、原則的には執筆者の表現を尊重するものかな、と思っていたのだけれど、起案から帰ってきた原稿には、冊子全体を通じて、表記法を統一するようにという指摘がいくつかあった。


「めざす」は「目指す」と書いてはいけない。
身体の一部を充てた表現は漢字を避けよ。
「ひとりひとり」は「一人一人」なのか「一人ひとり」なのか、ばらばらではダメ。
「ひとり」は「1人」とするのか「一人」とするのか。
・・・。


ただ諾々と従うのは嫌だったので、根拠になるものをそれなりに調べてみる。
現物にはぶつからなかったけれど、新聞社などは表記法のコードを明確に持っている(新聞社に勤めてるKくんにでも今度、聞いてみよう)。
「ひとりひとり」は、文部科学省の刊行物では必ず「一人一人」と表記することが決まっていることがわかった。教育の世界では少なくとも「一人一人」で決まり、ということになる。
ネットで調べてみると、多くの人の目に触れそうなQ&Aの頁で「一人ひとり」が正しい、と教示するような内容のものがあって、少なくとも「一般的」とされるルールが複数あるらしいことが伺える。
今回のわたしの仕事の中では出てこなかったが、教育の世界で表記についてよく話題になるものに、「こどもたち」をどう漢字で書くか、というのがある。
これは「子供たち」が正解とされる。
「子ども達」というのを見かけるけれど、これは「達」の表記ルールの面でも、アウトだとされる。


「目指す」がそうだが、「身体の一部を充てた漢字を避ける」というのは、何らかの表記ルールを定めているところでは、具体的にひとつひとつ、「これはひらがなで行きましょう」、というリストを定めている。
修正を入れたと思われる人に尋ねると、教育センターが定めている表記ルールというのが出てきた。
「『目指す』は、誤りではないが当センターの刊行物では『めざす』と記述することにする」、という内容のことが丁寧に書かれていた。


「1時間目」などの「目」にまで、「『め』にしなさい」という朱書きがあったが、これはたぶん勇み足。
数字は「第」や「目」をつけることで序数詞となるが、この「目」には、身体の一部としての「目」を具象的に用いた表現から転じたもの、とは言えない。


少し余裕があったから、修正作業にこんな風に取り組めたが、起案作業の出口に位置する管理職は、毎日3桁に迫る数の、こういう文書の修正作業をしているわけだ。
…あまりしたくない仕事である。
ようやく出来上がった冊子の前でほっとしながら、思わずため息をついてしまう。


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