栢野忠夫氏に会う


2003年に山形県高畠町で、ひとり強化合宿を張らせていただいたときに、藤井優氏を仲立ちに、その後の「射撃」を根本的に再構成して行く「要素」に直接・間接に浴びるようにして出会った。


フランク・デュモラン・甲野善紀・菊池良一・小関勲(まるみつ)・野澤康(視覚行動研究所)・NEC米沢の開発者・サポートクラブのたくさんの人々・・・
デジタルシューティング・バランスボード・自転車と脈拍計を使ったトレーニング・膝射の研究・食に関する様々な知見・強化の環境を整えるという仕事の幅の広さ・・・


射撃とどう結びつくのかがわかりにくいが、しかし衝撃的で気になったのが、「身体操法」の捉え方の変化が革命的なパフォーマンスにつながる、という事実と、すでに藤井氏を中心にDSSFが積極的に教えを仰いでいる、ということだった。
パフォーマンスへの効用を示した、甲野善紀氏や桐朋高校バスケットボール部の一連のVTRには瞠目した(バスケットボール革命 −古武術が眠れる能力を開花させる−:日本文化出版)。すでに桑田真澄投手の復活と関連した報道で私も少し知っており、すでに有名になりかかっていたが、あらためてまとめて見ると、どうつなげられるかわからないけれど放っては置けない、と思った。


この時、この「なんだかすごいが、どうなっているのか?」をうまく説明する人として栢野忠夫さんの名前を知った。すでに岩波から栢野さんの手が入った新書が出ていて、すぐに山形で読んだ。デジタルシューティングがこの「なんだかすごいがよくわからない」ことができているかどうか、気づくためのプローブツールとして非常に有効である、ということで栢野さんと射撃はつながっていた。古武術に学ぶ身体操法 (岩波アクティブ新書)


DSSFに寝泊りさせてもらった私は、毎朝、明るくなると同時に起きだすと(日中、デジタルで射撃の練習をし、午後に自転車・水泳とフルにトレーニングをして、しっかりご飯を食べて洗濯をしたら、寝てしまうので、実に健康的に朝も目覚めていたのだ)、朝食までの間、様々に積み上げられている射撃やスポーツ技術に関するVTRを片っ端からプレイヤーに放り込んで観るのが習慣だった。
そこには、先述の甲野善紀がらみ以外にも、講習や視察などの記録テープがたくさんあった。


その中に、小さなバランスボードを使いながら「体幹操法」という体系でピストルのフォームを説明するVTRがあった。豊田の運動能力研究所で収録したものだったようだ。
ピストルは私の専門とするものではないが、「おおっ!」と驚いた。この時の映像の記憶が、その後5年間のフォーム形成を考えるときの核心のひとつになっている。
私のフォームが、極めて少ない練習時間でも、高度に再現・安定させられる(と思っている)のは、この要素が効いているのではないかと思っている。
以上、「動く骨」以前のことである。動く骨(コツ)―動きが劇的に変わる体幹内操法


今回、栢野氏が「新著につながるブレインストーミングになれば」、とフライングディスク・デジタルシューティング・野球の関係者を出版社の人と会う機会を倉敷で設ける、とのことで、デジタルシューティングについて意見を求められた田中氏とともにそれに参加する機会を得た。
間接的にそうは聞いていても、どんな集まりなのかよくわからないままに出かけた、というのが正確なところである。


個人的には「射撃」が、スポーツ一般に共通して有効となる身体操法体幹操法)ができているかどうかを「プローブ」し、さらには「トレーニング」する「ツール」となる、ということについてつっこんだ話になったりしないかな、と期待していた。
身体の動きを拡大して表す「射撃」にそういう可能性があることは、漠然とわかるものの、具体的にどこを見ると有効か、それが身体操法のどこと結びついているか、をはっきりさせることは、なかなか難しい。何かそのあたりについて(年数も経ているし、こうしてコラボレーション的な企画もするくらいであるから)進展があったのであろう、と思ったのである。


結果的には、どんな集まりだったのか、私にはよくわからないままに終わってしまった。
議論らしいものをする機会もなく、ただデジタル射撃の機材を持っていって楽しんでもらって我々の出番は終わったようであった。
「プローブとなりうるであろうな」、という漠然とした印象の域のまま、どうも放置されているのではないかな、という印象である。
射撃から外へと広がっていく部分については、我々だけではいかんともしがたい部分であるので、材料は出せても、自分たちだけでは進められず、待つしかない。少し残念である。


体幹操法」は、今まで、漠然とした形のままになっていた「体幹」について、具体的に形態や動きを表現する言葉と視点を与えてくれた。その言葉や視点をどう生かしていくかを、選手あるいは助言者として少しずつ掘り下げていこうと思っている。


[fin]