すこし重い雑感

わたしは障害を持った人たちを対象とした教育機関で働いている。


「てんこもり。」http://tenkomo.blog46.fc2.com/blog-entry-237.html
という2ちゃんねるのダイジェストを掲載しているブログの「知的障害者とのセクス」というエントリーを読んだ。タイトルが気になってアクセスし、かなりの分量だったが最後まで一気に読んでしまった。
5年ほど前の内容であったので、あとで2ちゃんねるの方も少し覗いたが、約2年後の追加報告のスレッド(http://best-thread.xrea.jp/logs/test/read.cgi/thread/1042420906/1-100)もあって、結婚式までの報告が載っていた。


仕事柄、障害があっても、私自身を振り返ってみたときにもあるのと同じような「異性を意識する気持ち」にかわりのないことは、自然とわかる。恋愛成就の難しさやつけいられてしまう危険について心痛めることもあり、ごくわずかではあるが困難を乗り越えて新生活にたどり着いた人がいる一方、悲劇的な結末に終わった話も知っている。


「1」の語る内容と彼女の言動について、「過去形」として読む立場だったせいもあるが、最初は内心ちょっと低く唸りながらも淡々と読み進み、最後には「幸運なケースとはこのようなものなのであるなあ」と心温まった。
同時に、掲示板の常とはいえ(特に元版の方)様々なちょっとひどい書き込みに、暗澹とした気分になった。こういうものかぁ、と勉強になったのは残念ながらそちらの方だったかもしれない。


私は何の予備知識もなく、今の仕事をいきなりすることになって、何年も過ぎた。
戸惑うことはあっても「障害を持った人のために!」といった「思い入れ」のようなものはスタートになく、今も障害の有無を別にして、ただ目の前の「子ら」が求めること、やってみたらいいと思われることを一生懸命用意する、という仕事だと感じている。


そういう淡々とした「感じ」がよい部分もあり、悪い部分もあるだろうと思う。


今回読んだことについて、何もあえてここで私が付け加えて語る必要は感じないが、知らない人にはちょっと読んでおいてほしい気がする。
読んでもらったからと言って、「さあ正面からこのことについて意見を交わそう」とは思わないけれど、何かの機会にこの話が引き合いに出てくることが、「この話を引き合いに出さなければならないような状況」をどうかしなくてはいけないときに、ちょっと力をくれる気がする。


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