人事のルール変更


校長会を通じて、各校に人事異動に関するルールの変更が伝えられた。


「人事交流の促進」という、それ自体にはさして色のない指針が、「異論をつけにくい」というだけで錦の御旗となり、やがて、それを形にすることが組織として優れていることを顕示するといわんばかりに、いや、ひとたび俎上に上がればやらずにおくのは組織の怠慢、といわんばかりにルールの変更にエネルギーをかけ、たくさんの人をわさわさ動かす。


意識に上っているのか上っていないのか、中にいる人も様々なのだろうけれど、「人事」を最大関心事にして働く人々のあまりよくない癖が、驚くほど単純な理屈に沿って改革を繰り返す自己顕示欲の強い首長と(結果的に)共鳴して、個別に人を見て配置を工夫することを面倒がって「一律に」(雑に)人を動かす、あまり感心しないルールを作ることに明け暮れているように見える。
変更には、それなりにメリットデメリットを丹念に洗い、「なぜ今までがそうだったか」を様々なレベルで検証することが大切だと思うのだが、どうも観念的な思い付きによる「改革」があっさりまかり通っているのではないか、という「軽さ」を感じることが多い。


私自身については、来年なのか数年先なのかわからないけれど、次の異動先を原則「支援学校以外」としてほしい、と強いメッセージが発せられたことになる。
私自身は、もともと高等学校採用で、支援教育(当時は養護教育)についての意向も問われることなくいきなり放り込まれた人間であるから、別にどこに行こうがあまり気にはならない。
しかし、一律に「何校目の勤務先だから」という単純なルールで、その人がその校種を支えるために必要か否か、という判断を組織の側から投げ捨てるようなメッセージを大々的に発するのは、愚かなことだと思うのである。


現場の士気や、仕事への愛着と表裏一体の自尊感情みたいなものは、もっと重視されるべきだ。
どこにでもいる「フリーライダー」的な、ダメな人材を摘発するようなことに組織の本流が血道をあげて、現場を支えているまっとうな人々は、その人たちの自助をあてに放置あるいは気をくじくようなメッセージで遇する、というのは賢明と思えない。


「期待」というより「当てにされる」重さから、解放されたような気もして、そちらがそういうつもりなら、と今の世界を離れることに心が動いてしまっている自分がいる。
今回の変更が、多くの人にこういう解放感を与える、という目的でしているのなら大したものである。


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