Dくんとの再会


今日から3日間、情報モラル等指導者育成研修、というものに参加することになり、3時間目を終えると、TTの先生に後を託して学校を後にした。
文部科学省が全国の各ブロックで行う研修で、近畿は今年地元大阪が会場となっている。
授業ががっちり入っていたらとても出してはもらえなかったのだが、卒業式と重なって、3日のうち2日は予行と式で授業がなく、卒業学年の担任でもないため、許可が出た。


情報機器やメディアを介したいじめやトラブルは、ここまで幸い大事にはなっていないものの、常々薄い壁一枚を隔てた向こう側で大口開けて待ち構えられている感じがして、どう予防したらいいか頭を痛めていた。
いつもならスルーする研修案内の束であるが、今回のものは自ずと目に留まり、周囲にお願いもして参加する。


昼食を食べる間がなかったので、15分ほど早く会場の教育センターに到着したのを幸いに、食堂に弁当を持ち込んでかきこんだ。
昼食の時間には遅めの時間帯で、人気はなくひっそりしている。
そこへ、自販機に缶コーヒーを買いに、一人入ってきた。
高校卒業以来ほとんど会っていないが、Dくんだと一目でわかって、おもわず「Dちゃん」と声をかける。


向こうはびっくりしたようだったが、すぐに「おお!なんでこんなところにおんの?」となった。
お互いに同じ仕事をしていることも知らなかったほどに久々の再会だった。


今回は偶然同じ研修に申し込んでいたとわかる。会場に入ると、同じ研修グループで席も近くだった。
時間ぎりぎりになって5階の会場まで一緒に駆け上がっていると、高校生に戻ったような気分になる。


あまりに、お互いのここまでの経緯がわからなさすぎて、どこから話を始めたらいいのかわからないくらいだったが、ぼつぼつと話すうちにおおよその近況は交換できた。


Dくんと私は小学校から高校までを同じ学校ですごした。
3−4学級しかない中で、あまり同じクラスにはならなかったが、高校時代は一緒に文科系クラブをまとめる仕事をしたりして、程よい距離でお互いを「よく知る」存在だった。


二人とも、「生物」に関心が深かった。Dくんは当時からまっすぐその興味関心を追求しているところが、「あっぱれ」だと思っていた。
その後沖縄に渡った彼のここまでの経緯は、やっぱりなかなかに「あっぱれ」で、友人の活躍として心から嬉しく感じた。再び大阪で一緒になって、大きく括れば「同じ」仕事をしながらも、そのスタンスはまた違っていて、そこから何というか、私と仕事との間にある閉塞感みたいなものを、普段まったく意識しない違った角度からほぐされるような思いがした。


当時の友人の近況はやはり話題になる。
あまりDくんもそう広く当時の人たちと交遊があるわけではないようだった。


中学高校の頃のことというのは、もう恥ずかしいことだらけで、あまり当時のその直接の関係者に会ってみたいとは思えない。
Dちゃんくらいの距離があるから、こうやってぱっと話して懐かしいのであろう。


当時の私がもし今、目の前にいたら、そいつは本当に情けなくて嫌なやつだ。
その嫌さ加減のなかに、私はどうしようもない「必然」を認められるから、構わないのだけれど、当時接していた他人には、その「必然」はわからない。単に「そういうやつ」だったわけである。
その「嫌なやつ」を「私」として知る人に会って、それを前提に当時の空気をそこに解凍されても、いたたまれないだけである。
私の中で了解している「必然」を説明する言い訳がましさはもっと嫌だし。


当時はいわゆる思春期らしさとは縁遠いと思っていたその時期全体のことを今になって思うと、やっぱり思春期というのは、後になっても厄介で扱いにくい。


いつもは遠い、そんな時代のことを久しぶりに思い出しながら、この3日間、仕事場を離れてDくんと研修を受ける。


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