家事を見直す


私と娘は、どうも咳がよく出て、すっきりしない状態がここ数日続いている。
相方は、もっと長いスパンで、なんだか疲れている。
毎週水曜日に、相方の母が家事のヘルプに来てくれるのだが、今週は火曜日にも母へ相方から緊急出動が要請されたようで、来てくださった。


働きながら母親をするのは、なかなか大変である。
他の業種への波及をひとつのねらいにしてモデルケース的に制度が整備された、という公務員の世界も、晩婚化・少子化の傾向が少し現れるや、「女性が職場で働くこと」=「母としても働けること」、という図式が自明でなくなり、職場の理解は形式化して、母親をしているものへの有形無形のサポートは逆に薄くなってしまった感がある。


今の知事は、そういう空気を察知してか、現場からの反発が散発的にならざるをえないのをチャンスとばかりに、どういう制度が必要であるかという理想論を逆に一掃し、一般企業ではこの程度であるから、そちらからの不満のないように公務員のほうの制度を、同程度のものに切り下げる、と環境悪化に追い討ちをかける方向へ平然と舵を切った。
この4月から、保育のために通年で取得する時間はすべて減給を伴うものに変更され、生理等の女性性保護のための休暇制度などが廃止される。


どの仕事も、今やそうであるが、「勤務時間」というのは形ばかりのもので、仕事がなくて失業するか、さもなくば、無給の残業を前提に働かねばならないか、の二つに一つである。「勤務時間」は、賃金の算定根拠を表示するだけで、労働量を表示するものではない。
公務員だけは、勤務時間どおりに天国を満喫しているかの論調が多くて、本当に閉口するが、少なくとも教員をしている私も相方も、休憩時間なしでフル稼働しているが(支援学校というのは昼食時間こそが勤務においてもっとも緊張する時間帯である。肢体不自由校では、誤嚥などの危険と常に隣り合わせで、生徒の生き死にがかかっている)勤務時間内なんかで絶対にこなせない仕事をしている。
それでも私の方は、なんとか翌日回しにしたり、できるときに先回りして仕事の貯金を作ったりして、12時間以上は職場に留まらないで済ませられないかと苦心するだけですむ。
しかし保育園の送迎をする相方は、周りに頭を下げまくって、朝はぎりぎりに職場に飛び込み、定時にはまた飛び出さねばならない。当然こなしきれない仕事が山のように残り、それは持ち帰って夜中にすることになる。


朝、保育園に預けられる時間と、出勤時間の間の時間差の関係で少し遅れてしまう分を、「保育時間」でまかなってきたが、その制度が春からなくなれば、とうてい年次休暇ではカバーできないから、何分の1かの減給を伴う勤務時間短縮制度を使わざるを得なくなる。
では、勤務時間が減ったその分、仕事が減るかというと、ほとんど減らない。
勤務時間の減少が意味するのは、給料の大幅ダウンと、家でする仕事の増大だけである。
仕事の量は同じ。職場滞在時間が多少減って、給料が何分の1か減るだけのことなのだ。


さて、そんなすぐそこまで来ている少し悲観的な日々はさておき、現在のわが家である。


それなりに家事の分担を考えてやってきたのだが、相方の身体の方が悲鳴を上げるようになった。
このままではうちは回っていかない。分担について、再考を迫られた。


保育園が自動車なしでは送迎できず、相方の職場の近隣という立地であるため、送迎がらみは相方がやらねばならない。
娘の行動時間に合わさなければならない、娘の食事や保育園に持って行ったりするものの準備もこれと不可分について回る。
このほかにも保育園というのは、まあ、日々通うだけでは済まず、(無認可園であることが大きく影響しているが)バザーや、運営会議、懇談、行事などへの参加がついて回る。平日の夜20時から23時くらいまで会議だ打ち合わせだと、園に行かなければならないことがあるし、土日も結構いろいろあって、全般相方に任せきりである。
また、今年だけということもあるが、マンションの自治会の班長が回ってきていて、こういうのは男がいくと、それっとばかりに大きな役が回ってくることもあって、休日に射撃関係でままならないことも多い私は控えていて、こちらも相方が出て行っている。


私は、まあ、早く帰ってこられれば娘の就寝までにこれらに手を貸すこともできるが、20時台の就寝時刻に間に合うように普段から帰宅し続けるのは限りなく不可能である。
私は、洗濯全般と、夜の食器類を含め、片付け全般を引き受けるような格好になっていた。
保育園の汚れ物の手洗いを夜に済ませて、タイマーで午前5時過ぎに洗濯が上がるようにしておいて、一番に起きて干してから出勤する。
「食」に関することは、娘の食事の延長で相方が担当、ということにしていた。


自分の休日が結構頻繁にアテにならないために、迷惑をかけていることはわかっている。
平日のサイクルの中で引き受ける部分を増やすしかない。
これまでの方法でだめとなれば、新しく引き受けられるのは、夜の娘の食事以外の「食」か、保育園の準備物がらみ、といったところか。
腕に覚えのあるのは、結婚まで(つき合っている間も含めて)やっていた「食」の方である。
生協や有機野菜の店などで買うのは、相方の得意とするところであるし、そこは相方の張り合いを保つ部分でもあるので、使ってほしい食材については全面的にお任せしつつ、あるものを見て、調理して出す、というのをできる範囲で引き受けることにする。


そんなわけで、この火曜日の夜から、私の日常は次のような感じになった。
後日、生活が変化していったときのための記録として記す。


まあなんというか、私がだいたい21時前くらいに帰ってくると、保育園から19時前に娘を連れ帰って夕飯を食べさせ、風呂に入れ、絵本を読んだりなんかするひと時を挟んで寝かしつけた相方は、娘と寝ている。
相方は、自分も夕飯を一緒に食べたのでは、これらが20時前後までに終えられないから、食べずに寝ている。
私は、眠りを妨げないようにふすまを閉じて、風呂やリビングを片付け、まずは保育園から持って帰られたゴミ袋いっぱいの汚れ物の泥や排泄物なんかを手洗いして落とし、洗濯機に放り込む。


これまではここで、相方を起こして夕飯の支度をしてもらいながら、私は洗濯物を畳んだりしていたのだが、今回からは、私がその時点で台所にある、調理済みのものと、ストックを睨んで、私たちの夕飯をセットして配膳する。翌朝出す煮物などが切れていたら、調理をする。
夕食分ができあがったら相方を起こし(体調によっては、起きてこないこともあり、その場合はひとりで)、夕食。
食後、食器・調理器具洗い物をして、翌朝の食事の仕上げ(娘が生まれてからは、コーヒーとパンとヨーグルト、なんてわけには行かなくなって、一汁二菜くらいの感じになっている)をして、作り置きを補充。ご飯をまとめて、必要に応じて炊飯器をタイマーセットして、風呂。
風呂から上がったら、洗濯機のタイマーをセットして、寝る。


朝は、食事も担当することになって、これまでより40分くらいは早く起きる(だからがんばって早く寝る)。
基本的には5時に起きて(まあすんなり起きられないから動き出すのは5時10分くらいから)自分の身支度を整えたら、まず洗濯を取り入れ、洗濯機から洗濯物を出して干す。
干し終わったら、なべに火を入れて朝食の支度。朝に卵を焼いたりして一品追加するとだいたい6時15分くらいにできあがり。自分の弁当もついでに詰めてしまう。
娘と相方を起こして、相方が自分と保育園の準備に掛かっている間に、娘を着替えさせて、一緒に朝ご飯を食べる。
このくらいでいくと、7時までに娘の歯磨きも終わり、保育園の準備も整って、7時過ぎに一家3人が家を出発できる、という具合である。


平日家にいる時間はほぼ完全に「家事」となり、朝も早くなって、ちょっと厳しい感じだが、体調にはそんなに響いていない。
台所がまた自分の場所になったことは何となく張り合いの出るところで、相方に完全に明け渡している間に変わってしまった乾物や調味料類のストック配置や分類を戻したり、冷蔵庫の中の古いものを整理したりと、自分が作業しやすいようにちょっとずつ整えていくことを楽しみながら久しぶりに料理を楽しんでいる。


睡眠時間さえ短くなりすぎなければ、早寝早起きして、生活のために体を動かすことが、体に悪かろうはずはないのである。たぶん。


[fin]