松井三都男さん


不必要に遅くなっていないか、工夫すれば少し早く帰れないか、ということを今年は気をつけてみなければならないな、と思っている。
相方が仕事に復帰すれば、今よりもきっといろいろなことが大変になることが見えている。
授業が本格スタートするまでの間は、試せる期間でもある。
幸い、ここまでのところ娘を風呂に入れることができる時間に帰れている。


娘を寝かせ、テレビを観ながら夕食をとった。
早く帰るとこんなこともできてしまうなあ、と当たり前のことだけれど新鮮に思う。


NHKを点けていると、「ニュース」・「クローズアップ現代」・「プロフェッショナル−仕事の流儀」と続いていった。
ニュースでは、不況の影響を伝える一方で、逆境に手を打とうする企業の努力や、逆に躍進する例が挙げられていた。
「プロフェッショナル−仕事の流儀」のゲストは、へら絞り職人の松井三都男さんだった。大田区の町工場で働く若い人を取り上げたニュースの後に、大田区で働く松井さんの番組が続いたので、一続きであるような錯覚を覚える。
へら絞り、という工程を見るのは初めてで、金属板がてこ一本で、思いのままに型に沿った形にねじ伏せられる様子に驚いた。
旋盤などの精妙さとはまた違う、大きな身体操作の中に繊細な制御を要するダイナミックな技術だ。


松井さんは熱を内に秘めた、静かで穏やかな職人さんで、格好良かった。
スタジオでのトークは、実演こそ盛り上がったが、対談では茂木さんが何となく質問の糸口を見出せないような様子で、「どんなお気持ちでしたか」みたいなことばかりになって、少し食い足りない感じが残念だった。
話題の一般性にこだわらずに、技術の特殊な気づきや工夫についてわからないなりにどんどん尋ねたら、なにかもっと違う話も引き出せたのじゃないかな、と思った。
もっとも、放映されなかった部分で、そういう質問を試みられたけれど、言葉で伝わるようなものではないから、と職人の誠実さから語られなかったのかもしれない。
事故で負ったハンデをきっかけに、力に頼らない、対象の違いを敏感に読み取って対応する方法にたどり着く過程は、実際には相当に大変なことであったろうと思う。しかしそれ以上に、人並みに遠く及ばない状況からのスタートで、本人の中の見込みも周囲の期待もないところからたどり着いた技術であり、ただ「めげなかった」ことだけでも相当に大変なことだと、観終わってから思った。
ハンデを負う怪我をした松井さんに「居ること」を肯定し続けてくれた工場の暖かい空気と、それに対してただひたすらに誠実に応えようと、仕事に向かい合った姿が、ここのほかにもたくさんあってほしい光景でありながら、現在急速に失われている、よのなかの「懐」であるなあと思う。


昔のことを伝えるドキュメンタリーを観ているような気分になっていた。それが今であることに、ふと安堵のようなものを覚える。


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