祝勝会


長い遠征から戻った、3日前の朝、職場の朝礼で長い不在を詫び、ごく簡単に報告をした。
すでにみんなよく知ってくださっていて、とても好意的に迎え入れてもらった。
金曜日から短い秋休みに入っていて、生徒が休みであるため、出張や休暇を取っている方も多く、調子が戻るまで少し試運転が必要な感じだった私にはありがたい、若干ゆったりとした雰囲気であった。


その日は、三者懇談を中心に仕事する傍ら、離日直前の書類のコピーがやはり出てこなかった、というJALの報告を受け、その結果報告とともに今後の対応について成田の税関に確認。そこで確認した、保管の期限と書類が整ったときの連絡方法について、ライフル協会やエージェントに伝えて対応を依頼。さらには、その返答を受けて学生連盟に最終報告を入れた。
・・・いきなり全開で授業や会議をするシチュエーションだったら、受け切れなくてパンクしていたかもしれない。
それから3日。
関係機関の調整を経て、書類の「再発行」という対応が決まった。対応が終わるまで数週間を覚悟しなければならないが、それぞれの場所で、問題はきちんと収拾が進んでいる。


私の国体での優勝が、3年前と同じ種目、同じ点数、同じ順位でありながら、前回はひっそりと過ぎたのに対し、今回は、周囲のニュースとのタイミングから、全国版のスポーツ面にちょっと大きめの活字で掲載されたりしたようで、それが親戚だけでなく、仕事の関係者の目にも留まって、なんだか盛り上がっていたようだ。
校長先生の話では、その紙面を知事も目に留めたそうで、なんでも後日表彰があるらしい。
うれしいような恥ずかしいような。優勝したのが付帯種目だけに、寄せられる言葉に対して、どこかつねにこそばゆさが付きまとう。


今日は、職場の後輩二人が発起人になってくれて、同じ学年を担任する先生たちと、管理職で「祝勝会」を開いてくれた。
これは、本当にうれしかった。
集まった中には体育の先生が多く、「特殊なスポーツだからよくわからない」と言いながらも、どこか質問が的を得ていて、楽しくいろいろな話ができた。


まったく同じ大会の同じ成績でも、その時の人や環境の巡り合わせで、その後に何がもたらされるかがまったく変わる。
それは、当事者一人の手にはもちろん、どうにもできないことであり、まさに「運」や「縁」の成すところである。


大げさな意味ではなく、そういったことはそういう場面を経験してはじめてわかることが多い。その時々に、運や縁を味わい、もたらされたりもたらされなかったりするそれぞれに何かを学び、それぞれに、よくわからないままに感謝を感じる。
自分の意思で動かせる範囲の小ささを、よきにつけ悪きにつけ実感し、その手の「手に負えなさ」を知ることが、喜びの中にあっても人を謙虚にさせる。


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