保育園見学


来春の仕事への復帰を視野に入れて、相方が育児や保育所について情報を集めている。
町の育児サークルで知り合うお母さんたちとの会話は、そこに立ち会わない私には「へー」と驚かされることが多く、帰宅後に相方から聞く話はちょっとした楽しみでもある。
上に兄姉がいる先輩ママから話を聞いたり、自分から見学や調べものもして、保育所や幼稚園の事情もわかってきつつある。


相方は保育所経験者だが、私は保育所を知らないので、何事も新鮮である。
育児上、親との密接な関係もとても大事だけれど、「集団の力」というのもとても重要だ、ということを私も相方も強く感じている。
「英才教育」といわれるようなものとは対照的なものだと思うが、原始的なレベルの社会性や「生物」としての能力が、幼時に身につけられる環境をつくることには、意識的でありたい、と思う。
光や風はふんだんに、しかし、強すぎる刺激は避けて、幼児の繊細な感覚を擦り切らさずに、十分に刺激に耐えられる時期まで強く育つのを待ちたい。


環境作りの配慮、というのは「不自然な刺激から遠ざける」、ということがほとんどである。
テレビ、電子音、けばけばしい色・・・。あまり神経質にやりすぎると病的になるので、ほどほどに、ではあるけれど、食べるものに気をつけるのと同じ、あるいはそれ以上に大事である可能性だってあるんじゃないか、と思ったりする。


脳内汚染
その延長には「脳内汚染」のような話まであって、さらにはいろいろに発達と刺激のありかたの善し悪しをめぐるせめぎあい、人間を人間たらしめている非自然性や異常な好奇心の「本来」を問う、本質的な問題へと続いてゆく。


今日は午前中休みを取って、朝一番に競技銃の所持許可更新手続きに行った後、母と相方と娘と4人で近所の2つの保育所を見学に行った。
気に入るポイントも、気になるポイントもそれぞれにある。今日は見に行けなかったが、もうひとつ有力な候補があって、そちらも近々見に行く予定にしている。


保育所をどうしようか、という迷いは、私の中では、深刻さと興味深さが背中合わせの、自然科学的ないろいろな悩ましさとも絡み合っている。


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