悪童日記


読みかけても、読みたい気分になれなくて書棚に戻すことはよくある。その本がすっと読めるかどうか、は本自体の出来とは別に、その時々のこちらの状態というか、「考えていることの周期」みたいなものに大きく左右される。


悪童日記 (ハヤカワepi文庫)
アゴタ・クリストフの「悪童日記」を読んだ。
早川書房がepiブックスという、スタンダードを並べる文庫のシリーズを始めた時に、第1弾のラインナップに入っていた。以前から気になっていたタイトルだったので買っておいた1冊である。
随分棚に寝かせてあったが、ふと手にとって読んだ。


第二次世界大戦末期オーストリアとの国境にほど近いハンガリーの小都市にある祖母宅に疎開した、ブダペスト生まれの双子の少年が綴った、日記の形式を取っている。
本書の中では都市名や事件の名前は明示されず、あくまで少年の目線ですべての現実が捉えなおされる。


あくまで背景でありながら、時代の有様が1話ごとにくっきりと浮かび上がる。
「『実質的に』ナチス・ドイツ支配下にある」という、わかるようでわからない状況が、いきなり出てくる祖母の家のいい一角を使っている「将校」と「従卒」の描写で、一気に生々しくわかってしまったり、連合国側、中でもソヴィエトへのシンパシーがどのように抱かれていたのか、その実相の一側面がこれ以上ないリアリティで見えてきたりする。


しかし、そういう「時代の描写」を抜きにして、相当に痛快な活劇として一気に読めてしまう。
時代特有の困難を、それが時代特有であるかどうか考えたり嘆いたりすることなく(その意味で本当に子供らしく)、ただあるがままの現実を合理的な理性を駆使して乗り越えていく。
勤勉さ、聡明さ、そして健全な好奇心が、状況に応じて発露され、困難と思われる状況をどんどん、最適解と思える方法で消化していく様は圧巻だ。
戦時下の状況に子供の立場で導き出す「最適解」の行動は、身も蓋もなく、時には残酷で、「道徳」の範疇も逸脱する。


その徹底した「最適」さ加減が、普段の自分の行動や判断の底に何が流れているかを顕にしようと、機械を洗う油のようにはたらきかけてくる感じがした。


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