スポーツ解体新書


スポーツ解体新書 (朝日文庫)
玉木正之著「スポーツ解体新書」を読み終えた。


主に、スポーツの動向についてはメディアを通じて知るのであるが、そこで違和感を感じたり、過去の出来事との不整合に気がついたりするくらいには、関心を持っている。
自分がしている「射撃」自体は、メディアに乗ることは少ないが、「スポーツをめぐる世の中の様々なこと」について考える機会はままある。


自分を振り返ってみると、ひとつひとつの「違和感」や「気づき」を貫いて、ある立場なり行動哲学のようなものを醸成するには、基幹となる知識(中でも、時間軸に沿って整理された歴史的な知識)がまだまだ足りない、と思う。
スポーツ界で役割を果たしている人にも、思い入れだけを原動力に、源さん八っつぁんの問答レベルで、スポーツ界のことを知ったかぶりに話していることは少なくない。
公認コーチ講習を受講したことで、以前よりもさらにそのことが気がかりになっている。


スポーツが「体育」として広められざるをえなかった歴史的な偶然(あるいは必然)が、日本(あるいは東アジア)の「スポーツ」を特殊なものにし、独特ともいえる様々な行き詰まりの原因になっている、という玉木氏の指摘は明快である。
「地域」に根付いたのは「運動会」だけにとどまったこと、あらゆることが企業内に留まる施設、人材でまかなう、欧米とは似て非なる企業とスポーツのあり方、スポーツ本来のあり方に反していながら、「体育」として成立させる必要から成立していった「体育会」文化の根強く広範な影響など、バラバラに見えていたことが一つながりであることがわかってくる。


自分の関わる行動や計画が、全体としてどういう意味を持つのか、どういう方向に帰着する行為なのか、ということをあらためて考えさせられる。


[fin]