昭和が終わった日


七草粥をすすりながらテレビをつけた。
しばらくするとNHKハイビジョン特集「昭和が終わった日」という番組が始まった。


19歳にして「特攻花」http://amaminchu.com/entertainment/book001.htmlという写真集を撮った昭和57年生まれのカメラマン仲田千穂が、大谷明宏の助けを借りて「昭和が終わった日」=昭和64年1月7日について取材を進めていく中で、「昭和」や「裕仁天皇」に対する昭和人たちの様々な考えや思いを追うドキュメンタリー番組である。


街角のインタビュー。
大谷が独立して以来、同志と発行を続けている部数3千の新聞、「窓友新聞」に、昭和天皇崩御の当時、言葉を寄せた市井の人々への、若い仲田との再訪。
さらに、崩御の後を追って自害した昭和天皇と同年齢だった老人の息子を訪ね、大阪空襲戦没者の氏名を調べて碑に残す活動を続けている女性をピース大阪に訪ね、同窓生だけで作り上げた、ひめゆりの塔資料館の館長を現地に訪ね、BC級戦犯の被告として法廷に立ち、ともに裁かれた者の多くが銃殺される中生きながらえた日本兵を訪ね、特攻機で飛び立ちながら目的地に達する前に空中戦で砲弾を失い生きながらえた軍人を訪ねる。
日本中のプロカメラマン130名あまりが協同して、崩御30時間以内の日本の様々な情景を写真に収めた、企画写真集「昭和最後の日」。訪問のカットの間に、企画に加わっていた撮影者が自分の撮った写真を前に「その日」を振り返る。
また、「昭和」について、なかにし礼上坂冬子金子兜太金時鐘沢地久枝大田昌秀戸川昌子がそれぞれに言葉を寄せる。


天皇を崇敬した平和主義者があり、平和憲法を獲得するために日の丸を激しく振った人々があり、20年を経て謝罪の言葉を発せられなかった「天皇の苦しみ」を理解した人があり、崩御によって戦後の重苦しさから解き放たれた心地のした人もある。
多様さを意識して配してあるのだが、通して見渡すことで、昭和・天皇への思いの違いは、その人の戦中戦後におかれていた境遇や環境の違いから生じていることが明瞭に浮かび上がってくるようだった。どんな教育も知識も、反感、共感そのいずれもの思いを補強する役割だけを果たしているかのようであった。
論理が「ある結論」へ導くのではなく、「情念が作り上げた結論」を論理は裏づけるだけなのだ、と諭されているようだった。
「歴史」とは、ありとあらゆる人生ひとつひとつの重みが、整理を受けつけず、統計化されることを拒み、ただ総和されるもの、とてつもなく重いものなのだ、ということをあらためて感じさせられた。


TOKKOというドキュメンタリーフィルムhttp://www.cqn.co.jp/tokko/で、反戦の思いを語った(語ってしまった)特攻の生き残りの老人が最後に登場した。フィルムの発表後に受けたらしい様々な非難の嵐に疲れ果て、思いは揺らがないがもう語るまい、と言う痛々しい姿と、戦争の愚かさとその後の時代のおかしさを横目に淡々と生きる、その老人と共に帰還した僚友の、静かに醒めて揺るがない姿に(うまく表現できなくてもどかしいのだが)なにか心の芯を与えてもらうような心地がした。

TOKKO-特攻- [DVD]

TOKKO-特攻- [DVD]


[fin]