名前をかんがえる


一昨日の夜から、相方のお腹で元気にしている子どもの「名前」を真剣に考えはじめた。


「縁起の善し悪し」みたいのを、私はそれなりに考える質である。それに膨大なエネルギーを割くのでは意味がないが、節目節目に意識することで工夫できることなら、良いにこしたことはなく、そのことがさまざまなことへの感謝や、すこし背筋の伸びるような自らを律する心持ちにもつながるように思うのだ。
相方も、その辺の考えは同じようで、ささっ、と腰の重い私に先立って名付けのための本を選んで買ってきた。[rakuten:book:12312637:image]


「こんな名前をつけたい」
「こんな漢字を使いたい」
という具体的なものがあれば、おそらく状況はぐっと変わってくるのだと思うが、その辺はお互いにあまりはっきりしたものはない。いろいろな漢字から逆にインスピレーションを貰って、いい名前をつけてあげたい、ということで考え始めた。


検診結果から、女の子らしい、ということなので、まずは女の子の名前から考えた。
「このごろすっかり少なくなったけれど『子』で終わる名前をつけたいねえ」
というところからスタート。


画数を中心に、陰陽・五行のバランス、音、意味…考える材料はたくさんある。
苗字・名前の各漢字の画数の和「天格・地格・人格・外格」と吉数との関係が、まず基本的な骨組みとなる。


苗字は決まっているので、そこから「吉数になる漢字のの画数組み合わせ」がいろいろ出てくる。
これだけなら、果てしなくパターンがある。


名前の総画数の末尾から、五行(木火土金水)に仲間分けができる、という(もちろんちょっとバカバカしいんだけれど)。親子の相性をここからいろいろに考えることができるという。どれかが駄目でどれかがいい、というわけではないのだが、それぞれの組み合わせについての説明はそれなりに含羞があって、私と相方それぞれにいいのは、この行とこの行かなあ、というのが浮かんでくる。
さらに、天格・地格・人格の画数(天地人)の五行が、どんな関係になっているか、が重要だという。それぞれの数がいいだけでは駄目らしいのだ(パズル的な面白さが加速してくる感じである)。これを「三才配置」という。それぞれが隣り合う他を助け生み出す関係になる「相生」(たとえば木→火)となっているか、それぞれが打ち消し合い攻撃してしまう「相剋」(たとえば水→火)となってしまっているか、を見るのだ。
このあたりまで考えると、名前に使う漢字の総画数が、書き出せるくらいのパターンに絞られてくる。


そこへ、陰陽のバランス、というのを考えてみる。名前の各漢字の画数について、奇数は「陽」・偶数は「陰」ということなのだが、これがどちらかに一方的に偏るパターンは、あまりよくないのだという(これももちろん、ちょっとバカバカしいのだけれど)。
実はこの時点で、ここまでの条件のせいで「いい」パターンには、はめられないようになっていたのだが、「よくない」パターンを回避することはできる。


なんと、名前に使える漢字の画数は、だいたいこれで決まってしまった。


ようやく画数別に並んだ「漢字の一覧表」が登場する。
ああだこうだ、と二人で盛り上がりながら、名前の候補になりそうな組み合わせをどんどん作っていく。意味や音から、これはいいねえ、これはへんだねえ、とそれぞれの候補をじっくり見ているうちに、だんだん「名前」として、書いた文字が立ち上がってくる。「音による運気や性格」なんて情報もあり、名前を考えるにあたってそのままに放っておいてくれる要素はほとんどなくて、とても面白い。


そんな作業を一緒にしながら、どんな子に育てたいか、を考えたり、これから先に実際に起こるかどうかわからない、子供と自分の様々なシーンを想像したりして、ちょっとだけ「親」になることの実感を強める。
それと同時に、自分の名前が、非常によく考えてつけられていることにあらためて驚かされる。30数年前の「親」の愛情を、あらためて感じたりもする。


そんなこんなで3日目の今夜、まず女の子の名前候補は決まった。
男の子の名前も、その流れに乗って夜更け過ぎにほぼ決めることができた。


君は、どっちだい?
二つの名前をそっとお腹に向かって呼びかけてみる。


[fin]