「プリオン説はほんとうか?」


福岡伸一の「プリオン説はほんとうか?」を読んだ。プリオン説はほんとうか?―タンパク質病原体説をめぐるミステリー (ブルーバックス)


プリオン」という、脳疾患(狂牛病・クロイツフェルトヤコブ病)の原因となっているといわれる「感染性を持つタンパク質」をめぐる議論は、私が研究室にいた時分に話題になっていた。研究者としてはひよっこ以前の大学生にとって「センセーショナル」という点では、少し先行するドーキンスの「利己的な遺伝子」もそうだったが、プルシナーの「プリオン説」も相当だった。しかしセントラルドグマにも逆らう大胆な主張をしている割に、粗雑で強引な主張のようだ、ということが、当時すでに薄々常識となっていたと記憶する。


研究が進むかどうかが結局は資金力次第、という実情に開き直って科学誌以外のメディアの影響力まで使ってしまうやり方や、露骨に科学賞を狙う姿勢などに、スキャンダラスな香りがつきまとった。
さすがにノーベル賞は良心の砦となるだろう、と言われていたのに、あっさり受賞してしまったのが、私が研究から離れることになった年のことだった。


今回どちらかというと「福岡伸一」の方に惹かれて本書を手に取った。先に読んだ「生物と無生物のあいだ」よりも、入れ込んで読んだ。今回この書を読んでみて、(私の場合)プリオン説について詳しくは今回初めて知ったも同然だな、と感じた。少し時間をおいて、識者の目を借りて全体を俯瞰すると、全体の絵が一気に見えるものだ(だからかえってだまされてしまう、ということだってあるけれど)。生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)


研究室から離れて10年。実験手法に大きな変化があって、もうわからないものが多いのかな、と心配したが、それは意外に大丈夫で、たいていの出てくる実験法の名前でおおよそ具体的に実験がイメージできてほっとした。


プルシナー陣営の説は、たしかにノーベル賞まで取ったとは思いにくい荒っぽい主張の仕方を積み重ねている、と感じられた。
ゼミの論文購読で、ここに紹介されているような論文を選んで行ったら「上手く行ってない実験を無理からに論文にしたものを選ぶから、こんなわかりにくい購読になるんだ」と怒られそうなものが結構ある。ましてや、もしも自分の研究だったとしたら、ゼミや学会やらで身近な先生たちに「もっとシンプルに実験を組み立てなさい」とお叱りを受けたり、痛い質問をたくさん食らって立ち往生することになっただろう。


一方、反証の例として挙げられている、長崎大学の異常型プリオンタンパクの発現量と病原性の器官別経時変化を追った実験には、その手間と得られた結果のクリアさに、(自分は今、実験に携わる者でも何でもないながら)頭の下がる思いがした。


本書にうまく乗せられている、のであろうが、たとえ病原体がなんであるかを現段階で具体には示せていなくとも、圧倒的にアンチプリオン説の「レセプター仮説」の方が、実験で得られている知見に対して合理的で、説得力もあると思う(本当は、何冊か同じテーマについて別の立場から書いた本も読まないといけないのだが)。


「論理の明晰さ」を競うよりも、駆け引きや研究費のスケジュールに合わせて結果を出すことも競わねばならず、ややもすると後者が「真実」を左右することもあることに、ちょっとした「哀しさ」を感じてしまう。
研究者としてはひよっこ以前の大学院生だった私すら、当時、少しはそんな悲哀のあるらしいことを感じたくらいだから、当事者であるいっぱしの自然科学の研究者の方々は、もっと痛切にそういうものを感じることもあるのだろうなあ、と思う。


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