「ロックンロール」


久々に現代の小説を読む。
大崎善生「ロックンロール」。ロックンロール (角川文庫)


これまでの大崎作品と何となく違う。わざとインターフェースを安っぽくしてある感じだ。


40歳を過ぎて、他人の薦めで小説を書いてみたら、新人賞を取ってしまった。そこで仕事はやめて作家業に専念することにしたが、2年間何も書いていない。
ー そんな主人公を「作家」として、作中唯一の「芸術をなす」側の存在として立て、そこに複数の「編集者」を主要な登場人物として脇に侍らせて話が進む。(これまでの習作や世に出ていない作品もない、たかだか1作しか書いていない作家が相手でも実際の業界ではこうなのかも知れないが)作中の「作家―編集者」の関係に対して、ずっと微妙な違和感が拭えなかった。
しかもそんな「作家」が第二作目の執筆のためにパリ郊外でひとり、数ヶ月にわたってカンヅメをする。作中で主人公が執筆している二作目の作品名が本書のタイトルなのだ。
そんな「作中作」に関心を持つこと自体が難しかったし、苦悩はわかるが、あまりにも結構な仕事事情に、シチュエーションへの共感も正直難しい。


さらに、巻末のイッセー尾形による解説にもあるように、手垢のついた言葉で作品をあえて汚してあり、用語も安っぽくなっている(ついでに言うと、この解説もなんだか安っぽい)。


主人公に語らせた、「ある場面を書く」ということの積み重ねが小説であり、それぞれが上手く出来上がることにこそ喜びと動機がある、といった「小説観」の通り、場面によって「大崎作品」を読む喜びを味わえたけれど、「イマイチ感」の方も多く感じた。


意図して一貫した「安っぽさ」の演出があったのかも知れないが、そのような点には興味がないので、この作品はあまり評価できない。


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