再会

再会



大学の射撃部時代の同期会が京都であった。
近い代の後輩やよく活動をともにした大学の同期にも声をかけたところ、7名にさらに3名が加わってにぎやかな会になった。


長く集まれない時期が続いたが、M上くんが帰国して関西に職場を移し、「そろそろやりますか」と音頭を取って企画連絡をしてくれるおかげで、こういう機会が持てるようになった。ほんとうにありがたいことだ(関西に長らく残っておりながら、楽しませてもらうばかりでこういうことが上手くできなくて申し訳ない)。
このような規模での同期会はこれで2回目だが、私やもう一人の同期のTくんが最近結婚したこともあって、結婚式などで今日の何人かずつとは顔を合わせたり、お祝いをしたり、ということもこの2年弱の間にあった。「仲間としてのおつきあい」が、卒業後10年以上を経て「はじまった」ような感じがして、なんだかうれしい。


メーカーで開発をしていたり、会計士として監査をしていたり、記者として取材・執筆に駆け回っていたり、家で仕事しながら子育てをしていたり、研究室で研究を続けていたり、医師として働いていたり・・・。
職場以外の人と接することは普段もなくはないが、ぐっと内情にまで踏み込んでいろいろな話ができる関係というのは、なかなかない。
それぞれにいま自分の周りで「普通にしていること・起きていること」を話しているのだが、他人の「普段」に「そうなのか!」と驚かされる。日ごろことあるごとに「これは、この狭い世界でしか通用しないことだ」と、自嘲しているつもりが、あらためてその「狭い世界」になじみかけている自分に気づかされたりもする。
なつかしさばかりでなく、会うたびに受けるあたらしい刺激が、少なくとも私にはある。


のびのびと自分の頭を回転させながら丁々発止を繰り返す、というやり取り自体が久しぶりで、やり取りに加わることはもちろん、ただ聴いているだけでも心地よく、楽しかった。
楽しい一方で、自分の日常からそういう回したい方向に思いっきり頭を回転させる、という機会がめっきり減ってしまっていて、合わせて回す機会ばかりが増えていることに気づかされもする。なんとなく「疲れ」が溜まり、気がくじける原因のひとつなのだろう。


話の端々には、それぞれの仕事・生活特有の苦労が自ずとにじみ、その中には圧倒されるようなものがどこかに必ず混じっている。本当に心配になってしまう話もあったりして、「ほどほどにしとかなあかんで」と心から注意する一方、そんな話の中で、僕もがんばるしかないな、と静かに覚悟が芽生えたりもする。


東京・福井・滋賀・愛知・京都・奈良・大阪・・・。このひとときのために何とか都合をつけて集まったメンバーは、それぞれの都合に合わせてひとりふたりと数を減らしながらも、半分が最後はすっかり終電のない午前2時近くまで、にぎやかにすごした。


仕事柄、深夜のタクシーを使うことはほとんどない私。あんなに豪快な使いかたをしたのは、この帰途が初めてである。


[fin]