R25時代


日経ビジネス文庫の「俺たちのR-25時代」という本を読んだ。


俺たちのR25時代 (日経ビジネス人文庫)


首都圏で毎週60万部発行されているフリーマガジンの連載らしいが、それは知らない。
「25歳から34歳は男性にとって社会人としての思春期なのではないか」
という意識の下にさまざまな「兄貴的」著名人に20代後半のもがいていた時代について語ってもらう、という本である。


顔ぶれがふるっていて、石田衣良にはじまって糸井重里奥田民生忌野清志郎京極夏彦トータス松本萩本欽一九重親方


わたしは、ちょうどこのR-25時代の最終コーナーに立っているのだが、高校生があこがれの人に話を聞いているときのような、脳みそが沸き立つような興奮を感じながらこの本のページを繰った。


でも、本当に高校生の時だったら興奮しなかったかもしれない。
「触発される」ところまで、R-25時代の最終コーナーにしてやっと来たのかもしれないな、「そりゃ、うまくいった人のいうことだから、って思っちゃってたかもしれないな」とも思った。


「自分だけ」の齢の重ね方、なんてできるんだろうか、と若いときほど思っていた。たかだか30数年だが、意識的に奇異な道の選び方などしなくても自分だけのたどり方になってゆくことが、ここまでくるとわかる。
自分が自分だけの重ね方をしていっていることが実感できるようになってはじめて、他の人のその人にしかたどれない道行きに、何かを感じ取れるようになる。
世の中が突如として学ぶべきものだらけになるのだ。


「R-25時代」当事者であり、かつきちんとこれを味わえる時期に読めたことを「よかったな、ツイてたなあ」と感じて、本を閉じた。


[fin]