「稲作の起源」

池橋宏「稲作の起源」を読み終わった。


稲作の起源 (講談社選書メチエ)

稲作の起源 (講談社選書メチエ)


面白かった。稲作はここに書かれているように園芸的な株分けに起源すると思う。
長江周辺で稲作技術を確立した後、勢力争いにやぶれて東南アジアへ散っていった越の人たち。文化の基調になる、勤勉さや富への感覚でかれらと日本人が共通していることを、様々な文献で明かすくだりが一番楽しかった。生存の中心課題である「糧を得る方法」が文化の基調とならないわけがない。
畑と田のちがいについて、日本人が水田に慣れ親しみすぎているが故に見えなくなっていた、という指摘は非常に重い。「研究者の想像力がいかに(ずっと)貧しいか」、研究者が研究者に対してとても言いにくいことを池橋宏は正面切って言っているように思える。


照葉樹林文化論ブームの端緒となった岩波新書の「栽培植物の起源」(中尾佐助)は「文化論」に初めて触れる人には、ものすごく魅力に満ちている。民俗的な慣習の話、いろいろな植物の調理法に関する記述…現代の日常生活からは新鮮に映る事象の説明に感嘆している間に、論自体が不動であるかのような印象を持って本を読み終えてしまう。
こんな風に書く私も、当時農学を専攻していながら、この文化論が合っているかどうかをあまり考えずに楽しく読んでいた一人だ。


この本を読みながら梅原猛の「水底の歌」と脳裏で重なった。定説へ異論を投げかけるには、たとえ周囲に眉をひそめられても、自分の得意とする専門分野から外へ足を踏み出す勇気が要る。



池橋先生は、私の大学時代の恩師である。


5時をすぎて研究室に行くと、にこやかに「まあ、一杯やらんかね」と迎えられ、持っていった相談は、6Pチーズと缶ビールを前にしてすることになる。


−「専門」といわれる領分をちゃんと科学全体の中に位置づけながら深めて行くには、自分のところだけ見てちゃだめなんだよ。ところが、自分が優位に立てる領域から出て、教えを乞う側にならないといけないのをいやがっちゃうんだねぇ。本だけ読んで「外のことは池橋先生にいわれなくてもわかってます」なんて顔をする。で、私がイネ以外のことに手を広げると、話をよく聞かないで『あれは、だめだ、だめだ』と陰でいうんだなぁ。…−


先生の聞き役としては優秀だったようで、実験や論文以外の話もずいぶんさせてもらった。
話の中に織り交ぜられる、ずっこけてしまいそうになるだじゃれを「またまたー」と混ぜっ返しながら、前の大学や試験場、依頼を受けて行った現地調査や海外の研究機関に勤務していたときのエピソードやら、科学や歴史、音楽、絵画、文学のことまで、なんでも話題になった。


見た目は「若い」とは言えないのだが、ものすごく頑丈で、たとえば海外視察を依頼されたときには、聞くだけでくらくらしそうな視察スケジュールを、ものすごい量のレポートを作りながらこなし、帰ってきた翌日には「いやー今回は疲れたねぇ」と言いながらにこにこしている。
口調は穏やかだが、議論の言葉はなかなか辛辣で、定説に寄りかかって安穏と予定調和で進めることをなにより嫌う。たとえ賛同者が周囲にいなくっても、議論は恐れずにどんどん起こす。
ぱっと見の姿だけではわからないこれらのタフさ加減には、がんばっても追いつけない感じだった。


「稲作の起源」は、とっても池橋先生らしい本だ。きっとまた、いろんな人に眉をひそめられているのだろう。でも先生は、きっととっても元気なはずだ。



すごくかわいがってもらっていたのだが、私は研究を離れ、ちがう仕事に就いた。
後進の育成について「大学からではだめだ」ということをよく話していたこともあり、「理科教育」をやろうと思って離れた。だから「畑違いの仕事に就く」といいう意識はあまりなかったのだが、いきなり想定していたのとはかなりちがうところに配属になり、今や「ずいぶんと畑違いな仕事」になってしまった。
私が大学を離れるとほぼ同時に、池橋先生もちがう大学に移られたこともあって、その後少し縁遠くなってしまった。


その池橋先生が退官をされる、という連絡が来た。
最終講義が9/9にあるという。とてもお会いしたかったが、秋田遠征の真っ最中だ。大したことではないかも知れないが、一応昨年のチャンピオンでありこれを取りやめるわけにはいかない。残念だが、欠席する。


「いつ」とは決めていないが、必ず機会をつくって、会いにいこうと思う。


[fin]