新宮誕生

秋篠宮家に男子が誕生した。皇位継承権のある男子の誕生は41年ぶり、とあって大きなニュースである。


わたしはほとんどテレビを観ない。新聞とラジオとネットで情報は十分に得られていると感じている。
実家に行ったときだけ、テレビを観ることになる。


テレビのニュースで観ると、その報道の様子は、私が感じる「大きさ」とちがって見える。
ちょっと量的に過剰な感じと、質的に貧しい感じがした。
「大きさ」を伝えたいなら、もっとなんというか豊かな表現の仕方があるんじゃないか、と漠然と思った。
いや、ちがう「大きさ」を一生懸命訴えようとしていたのか。


一人一人、人はみなちがう自分だけにしかない人生を生きる。それは彼も同じだが、際だって特殊であることはまちがいない。
生まれた瞬間から存在そのものに意味づけをされる彼らの大変さは、ちょっと私には想像できない。
「おめでとう」の中にも、いろいろ思いをいたす要素のたくさんある「おめでとう」だ。


発信の方法は言うまでもなく、情報をどう受け取るかも、なかなか難しい問題だ。
必要以上には、高揚させられたり、悲嘆させられたりせずに受け取りたいと思っている。


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