岐路

季節の変わり目



「自己評価」というのが、幅をきかせるようになって久しいけれど、何というか「こんな風に私は頑張っているんですよ」みたいなのを、せっせと掻き集めて自分で提案する、というのは(売り込みをかけなければならない仕事であればそれは極めて重要な営みであるが、評価において「何をしたか」より「どのようにしたか」の方に重点をおいてもいい程度に落ち着いた組織構造内での仕事となると)何となくたしなみのないことだという感じが拭えない。「制度上仕方なくやる」ものだろうと思っていたのだが、自分から自らの成果についても訴えて出る方が当たり前で「それが開明的なことだ」とさえ思う、どうにも「恥じらい」のような感覚を共有できない人が結構多いらしいことがわかってきた。そういう訴えは形にして積み上げられると、受ける方も「放っておけない」という風になるから、何というか、堂々と「みっともない感じ」をマントのように翻して進んでいく一群が、片隅でちょっとずつ増えていくように映る。


「奥ゆかしさ」なんていうものは、自信のなさや怠惰の別名だ、とされ、客観性(とは形式上整合が取れるように整えるもので、その真贋)は二の次にしてまずアピールせよ、という空気は、ある種の揺るがない基調である。基調である以上、指し迫って必要になればすぐやって見せられるように準備は密かにしておくが、しかしできることなら御免被りたい、というのが正直なところである。
ある種の「性善説」なのだけれど(穿った見方は忘れないようにしているが、私自身は基本的に「性善説」の人である)、やるべきことをやれば人の能力や美しさを見抜く力は備わっていくものであり、その力を行使した結果が逆にその人の眼力や審美眼の程度を表す。その程度こそがすなわちその人の評価そのものなのじゃないか。そしてそういう力のある人が、そういう力を持つ人を抜擢していく、という循環で、組織は性格や力をかたち作ってきたのではなかったか。
時に因循な慣習に陥ったり、独善に走ったりすることを抑止するために講じた、機会の平等を担保する補助的な仕組みが、「自己評価」を使った一連のシステムであり、そのシステム自体の中に「良い組織を作っていく秘密」があるわけではない。ひとたび「評価する力」のない者が評価する側に立ってしまえば、「システム通り」に動かしても、カスケード式に組織は劣化する。


「他の人を客観的に把握できるようになること」、は成長を通じて獲得しなければならない力のひとつだが、その力を自分を対象にして使うことは「私」の領域に属する振る舞いである。「他人から受ける」ものだけが「公」のものとなる。「評価」というのは、そういう「相互扶助」的な営みである。
自己評価は、すべきである。しかしそれを公が求めたり、そのような求めに応じて他へ詳らかにすることは、本来特殊なシチュエーションに限られるものだった(どちらかというと、選ばれたものだけに許される「特権」のようなものだったのではなかったか。だからこそ、万人にそれができるようにしてあげましょう、というようなおせっかいな力が働いて、「基調」となるまでの流れになったものと私は思っている)。「恥じらい」は、本来「私」の領分にあるものを、組織の補助的なエンジンとしてやむなく使うことからくる「ためらい」から来ている。


自分がいいと思っても、周囲の客観的な評価を得なければ、それは公のものとしては位置づかない。だから逆に「位置づくように」努力する。それは例えば「周囲を変えていくこと」であるケースもあるし、「周囲を納得させられるように、さらに磨きをかけていく」ケースもある。その努力の中に「アピール」は「包含」されている。また、評価される環境を求めて流離う、ということもある。しかし、「私は自身をこんな風に評価しています」とやること自体が、公に位置づくためのまっとうな方法として、真ん中に来ることはない、…と思う。


人事の季節である。
基本的には、差迫った家庭の事情を除き、問われぬ限りは人事に希望を申し述べない、というスタンスで来た。評価され、「やってくれるか」と言われれば、可能な範囲で精一杯やる。必要とされ、お前にしかできない、と言われること自体を、もう少しありがたがったらどうか、と周囲を見て思うことは多い。予めには全く描いていなかった路を、これまで10数年歩み続けてきた。お陰で知らないことをたくさん知り、見たこともなく、考えたこともなかったことに向き合うことになった。それまでに備えてきたことは、活かされないように思ったが、実は全く違う形で備えは整っていたことを知って、「無駄なことなど何一つない」ということばが、そうひどい嘘でもない、と思った。仕事というのは趣味ではないから、潔く踏ん切りをつけられる良さがある。意気に感じられる部分を探して、あれこれ頑張っていたら、それなりのスタイルが身につくものだ、という感慨もある。


しかし、今年は「節目が来た」という意識が終始強くあった。
ずっと「身近な周囲」の期待に沿う、でいいのかどうか、そんなことを真剣に考える秋の夜である。


[fin]