α900

α900



大した写真を撮っていたわけではないけれど、私はフィルムカメラの時代にミノルタの一眼レフを使っていた。
祖父が写真についてはちょっとした腕前で、撮ったものを出版物の表紙に使ったり、個展を開いたりしていたから、写真を撮る、ということには幼い頃から親しみがあると同時に、いい加減に撮ってはいけないんじゃないか、という敷居の高さがあった。
高校時代、私が活動していた陶芸七宝部は写真部と同じ部屋で活動していたから、光学機材に思い入れの強い人たちがいつも間近にいた。私の年代は「究極超人あ〜る」と同時進行で高校生をやるという僥倖に恵まれて(?)、健全な文化系クラブの楽しみ方を、カメラを通じて学ぶ、みたいなところがあった。ただ、どうにも家に私が自由にできるカメラがなかった当時、参入するにはそれらの値段は高校生の身の丈に合わないもので、話だけ加わって楽しんむものだった。
大学で突然射撃をはじめることになったせいで、いわゆる「道具の値段」や「値打ち」みたいなものについて、それなりの尺度が身について、カメラというのは法外な高級品ではないとわかってきた。研究で、カメラを使わなければならないことも少なくなくなり、マニアというのではなく、ごく普通に機材として使いこなす人が友人に多く現れ、それなりには使えることが嗜みだと感じた。
究極超人あ~る (1) (小学館文庫)


京都はそれこそいろんな面白い店があるのだけれど、無知な一見さんにはとっつきにくいところがある。ちょっと詳しい友人に、この店は良心的だよと連れていってもらい、店の主人と相談しながら買ったのがα3300siだった。キャノンのEOSとどちらにするかは、お客さんの好みの問題だねえ、と並べられ、それぞれについて説明を聞いて(その内容の細かいところはもう覚えてはいないけれど)、ミノルタに強く惹かれたことを覚えている。


その後、IXYデジタルが出たのを機に、デジタルカメラも使うようになって、あれよあれよという間にフィルムカメラを使う頻度は少なくなっていった。現像や焼付けの必要なフィルムからの解放の意味は大きく、やっと「自由に」写真が撮れる気がした。こんなに小さなカメラでも、背面の液晶ディスプレイは撮ろうとしている画そのものを映しだしているわけで、肝心な部分で一眼レフと同じじゃないか、と思ったことも、大きなカメラから離れていくのを加速することになった。IXY Digitalと、次に買ったR-5は、それこそ「使い倒す」という表現を使ってもいいくらいに、常に持ち歩いた。今はCR-5を同じようにして使っている。
ただ、CR-5になって、子どもの写真を撮るときシャッターのタイムラグがとても気になるようになった。R-5はとても気に入っていたのだけれど、ピントの調節機構が故障してしまってやむなく後継機種に乗り換えたのだけれど、(あまり普段使わない機能がやたら増えて)機械の反応速度が遅くなったように感じる。R-5のときにはそんなことはなかったのだけれど、表情を追うときなどに、ここっ、というタイミングを捕まえられず、予測してたくさん撮らざるを得なくなっている。AFの仕組みの変更のせいだろうか。


「ちゃんと」撮るときは一眼レフ、といいながら、コンパクトデジカメで凌いでいるうちに10年近く経ってしまい、フィルムカメラはすっかり使われない状況になってしまった。ミノルタコニカと合併したものの、デジタル化の流れに上手く乗れず、カメラ事業から撤退してしまった。一眼レフに戻るときはミノルタで、と2本のレンズが再び活躍するチャンスをひそかに心待ちにしていたのだけれど、そういうことはもうないのかも知れない、と一時は覚悟した。ミノルタのαブランドを引き継いだソニーの動きは時々気にしていたけれど持っているレンズが普通に使えるフルサイズの一眼レフはなかなか登場しなかった。
そしてとうとうα900が満を持してが登場した時、うわ、フルサイズの一眼って、こんなに高級な機械になっちゃうのかと唖然となった。かつて愛用したα3300siとはあまりにグレードが違いすぎる。


そんなこんなで何となくまたカメラのことはすっかり忘れていたのだけれど、新しく使いだしたCR-5に不満があってすこし調べたら、α900が孤高の機種として、ずいぶん評価が高いことを知った。実勢価格は、発売当時の半値くらいで推移している。なんだか急にまた気になりだして、一眼レフまた使ってみたくなった。そうだ、中古のαレンズってどのくらいであるんだろう、と少し調べると、特殊な高級なものを除けば、驚くような安い値段で出回っている。カメラ本体をどうするかより先に、思わず10年前に本当は買いたかった、望遠ズームを思わず買ってしまった。
もし買うとしたら大きな買い物になるからと、解説書も買うことにする。ところが、以前にAmazonのカートに入れてあったのを、購入しようと見に行ったら品切れになっていた。幸い、これは、ジュンク堂のネットワークで鹿児島の支店から買うことができた(本屋さんのネットワークで購入できるサービスは、とても親切で感心させられた。全国の書棚からちゃんと在庫情報が上がってきて、出版元で品切れになっていても書店に残っていると、買うことができるようになっている。丸善ジュンク堂が提携してやっているこのサービスは、Amazonがダメな時に、これからも頼ることがあるかもしれない)。
この本を買うのに苦労した時、ちょっと嫌な予感がしたのだけれど、そんなこんなで買おうか買うまいか悩んでいる最中に、α900の製造終了が発表されてしまった(悩んで、しょっちゅうそういう関連のページをチェックしていたから気づいたのだけれど)。価格ドットコムの価格がポンと跳ね上がった。あちゃー、これは困った。どうしよう…、と悩みがさらに深まってしまった。


で…、このようなエントリーを書いていることからもわかるように、結局購入した。次もきっとハイエンドで、高くなることはほぼ間違いない。しかも、この機種のように原点に全てを懸けたような潔い機種はもう出てこない可能性がある。それより何より、もうフルサイズの新機種は出ない恐れだってなくはない。デジカメの場合、バッテリーが時代遅れになることが一番の心配だったけれど、ビデオカメラなどでも広く使われているもので、その辺りも急になくなることはなさそうだという判断をした。ただ、発表直前の底値からあまりにも急激に価格が上がったので、新品を買うのが馬鹿らしくなり、「非常に状態がいい」のAmazonの中古品に決めた。届くまでドキドキしたが、届いた商品は見事な完品で、全く問題がなくほっと胸をなでおろした。


早速何枚か撮ってみた。客観的な比較ができているわけではないけれど、数々の熱いレビューの通りで。その美しさは「凄い」の一言だった。同じものが、こんなにきれいに撮れるものなのかと、感激している。
七五三、これで撮るのが今から楽しみである。


[fin]