はじめて仕事で活用するビジネスフェイスブック


はじめて仕事で活用する ビジネス・フェイスブック
上田修子著の「はじめて仕事で活用するビジネスフェイスブック」を読んだ。


Facebookについては単に実名ベースのSNSだというだけでなく、そのことを基にして非常に強力なツールとして使えるものらしい、とだけ何となく理解して、気になっていた。しかしその一方で、アメリカはじめ世界のあちらこちらで圧倒的なシェアを占めていながら、日本では普及がなかなか進まなかったことを、日本の文化背景と安直に結びつけて「内向き云々」とか、先行しているmixiと雑な比較をして偉そうに言う人がいたりするのが気に食わなかった。


Web空間というのは、いろいろ想定したつもりでも思わぬことに足を掬われる、なかなかに厄介なところである。何事においてもそうだが「何となくよさそう」だけで飛びつけない臆病さは、重要な防衛センサーとしてあまり馬鹿にしないほうがいい。格好悪くても、おっかなびっくりへっぴり腰で、好奇心の赴くまま、気になるところにはちょろちょろ出張ってセンサーを鍛え、距離感を学びながら、気がつくとモノにしている、というくらいがいい。
SNS自体については、次はこういうサービスが大きな位置を占めていくだろう、と雑誌で知った。もう6年以上前になる。直後に(長らく招待制だった)mixiに友人から「招かれ」ておどおどとスタートした。「足あと」という機能で、不可視だった不特定多数とのネット上の頻繁な「すれ違い」が「見える」ようになっていることや、様々なコミュニティで繰り広げられるいまどきのやりとりが、BSSサービスの2ちゃんねるなどよりはマイルドで、しかしひと通り荒れたり炎上したり、程なく始まったニュース配信への程度の低いコメントから、セカイの平均値を何となく知ったり、リテラシー入門の場として有効なものだった。少なくともネット上に文章を書き流す、ということの効能は、ここで実際に少し書いてみてはじめてわかってきた。その延長でブログへの移行もあった。
mixi自体は、ある程度機能を絞ってわかりやすく可愛らしくアピールしたので、たくさんの人の関心をうまく惹くことになり、「アカウントは大抵の人が持っている」と感じられるほどに成長した。大してPCを使わない人相手でも。やってる?と尋ねて関係をつくれるというのはすごいことだ。内輪での他愛のないやりとりをのんびりと楽しめるというのは、緊張感と無縁でいたいオフタイムにおいて貴重なPCの使い方である。若干は外の目も気にしつつ書いたブログの更新を、その内輪にRSSフィードで伝えたり、内輪で(十分なことが多い)つぶやきを流したりと、重宝なSNSであることに今も変わりない。


国際標準ともいえるSNSFacebookについて紹介するこの本は、とてもわかりやすいものだった。どういうことを目指してできてきたSNSかを踏まえながら、相当に意欲的な使い方までを射程に収めて解説をしていて、しかも無理がない。薦められる1冊であると思う。アマゾンのレビューは相当にあてにできるなあ、とあらためて思い知る。
さてじゃあ、Facebookをどうするのかというと、ひとまずアカウントは作ってみた。mixiのときと同じかそれ以上のおっかなびっくりで、のんびり手探りしてみることになるだろう。「使う」となったら、相当に主体的に何かを始めるときのツールとして、ということになりそうである。印象としては、Googleのグループツールと近いものを感じた。ただSNSであるから1プロジェクトで使い切るのではなく、それが終わってもその残渣も含めて、「人格」として表に立てたもので後ろにずるずると引きずり続けることになる。それを「奥行き」として頼もしく感じるか、何となく覚悟を要する「重苦しさ」と感じるかは人それぞれだろう。Webへの姿勢がこの二者を分けているのではなかろうか。当然に意欲的でやや前のめりなくらいの前者にFacebookの積極的なユーザーは多いだろうから、それがネットワーク内あるいはネットワーク全体の独特な雰囲気を醸成しているのだろうと想像する。私は、この二者の間を揺れている。どちらかというと慎重で面倒臭がりだ。


ツイッターは、「ぶら下がる」方の使い方に落ち着いた。不特定多数を意識して言葉を発するよりも、多数に注目を浴びるニュースソースを個人的に選択して、アンテナを向ける、ということに使っている。少なくとも私にとっては、震災の時にこういった使い方をしていたことが非常に役立った。またいろいろに状況は変わっていくだろうけれど、Webのツールについてはそれなりの付き合い方みたいなものが自分の中にできていけばいいと思う。


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