こんなときにスポーツは


プロ野球が開幕を目前に控えて、今後どうしていくか、各リーグで理事会が開かれる、というニュースがあった。
スポーツ興行がこの災害を前にどうするか、というのは、例えば店舗や工場の操業を再開できるかどうか、とはちょっと違うところがあるように思う。
開催地が被災している、という場合や、電力供給に問題がある、という理由以外に、よく見定めて情況に応じては慮るものもあってしかるべきではないか。
それは「自粛ムード」という言葉で片付けられるものばかりではないはずだ。


Jリーグは、スタジアムのいくつかが被災した。しかし、少なくとも今月いっぱいの試合についてリーグ中断を即断したのは、単に「興行場所」の問題ではなく、一体どこで誰にどんな風に見てもらって成り立つものであるか、ということも考えてのことだった、と思った(そう思わせたことに意義がある)。
野球については、ほかのスポーツである程度いろいろな決断が下された後であるから、同意の形成はそう難しくないのだろう、と思っていた。
だから、パシフィック・リーグが、さもありなんと思える結論をすんなりと出したのに対して、あえて球界内部の分断を露にするような結論をセントラル・リーグの理事会が出したのには、強い違和感を感じた。
「延期する理由が見当たらない」と言ってのけ、「経済活動」の一言で自分たちのしていることを形容するそのセンスがよくわからない。
大して先のことを議論しているわけではない。わずかに10日先がどんな状況であるかを予想して、身の振る舞いを考えよ、という命題である。
選手個人がメディアで述べている感想の方が、ずっと相当にまっとうに見える。
報道を読むにあたって、セ・リーグの理事会には、それが「素人考えだった」と反省させるような、理由や説明を期待したが、どうもそういうものが見当たらない。


現場には節度と心意気と秩序があって、上に行けば行くほどにそういうものを持つものが極端に少ない、というのは、普遍ではなく、おそらくこのくにの悲しい傾向である。
今回の選手会とオーナーに限らず、電力会社や、政府などを見るだに、今回もやはりそのような一面があちらこちらに顔を出している気がする。


一部の外国メディアは、トップの非力を指摘する論調も現れ始めて、その内容自体には肯えなくはない。しかし、有事にそういう指摘を外部からする、というのは基本的に「容易なこと」で、そのこと自体はどうということではない。このようなとき取るべき振る舞いは、正論に見えるそれらの尻馬に乗って、したり顔をすることではない。
海外じゃ笑いものだぜ、みたいな安っぽいグローバリズムほど害が多くて見苦しいものはない。
そのあたりをどう言ったらいいのか難しいが、内田氏が3月13日のエントリー(http://blog.tatsuru.com/2011/03/13_1020.php)に書いている内容はわかりやすく、また代弁以上の代弁をしてくれている。


少なくとも今回、そう簡単に自分の一生懸命やっている姿は他人を勇気づけるものだ、公共性があるのだ、と思いあがらない、謙虚な野球選手たちの言動は、気持ちよく受け取れる姿だと思った。


[fin]