シュリーマン旅行記 清国・日本


シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))
シュリーマンといえば、トロイア遺跡の発掘とそれについての著書「古代への情熱」で、これは新潮文庫の百冊なんかにも入っているので、高校生のころからよく知っていたけれど、その同じ人が明治維新前の日本に来て、当時の日本の記録として相当に貴重な旅行記を書いていたことや、さらにはそれが処女作だったとは知らなかった。
この本と引き合わせてくれたのも、アマゾンのおすすめである。


シュリーマンの滞在は、1865年6月1日から7月4日までの1ヶ月間。尊皇攘夷の嵐が吹き荒れ、外国人の江戸入りはきわめて難しかった時期だという。本書の中にも、そのことがわかる部分がたくさん出てくる。そのような状況下に、外交官でも軍人でもない「一旅行者」による見聞は極めて珍しい。自然で行き届いた観察は、いかに彼の目の前で繰り広げられた情景が、新鮮な驚きに満ちていたかをよく伝えていて、今の私たちにもとてもわかりやすい。
前半は、清時代の中国(上海・天津・北京・長城)の旅の経験が語られ、後半が日本。著者全体としての中国の状況に対する批判的な筆致と、日本についての絶賛にも近い筆致は鮮やかな対照をなしている。
世界に類を見ない清潔さ、身分に関わりなく園芸を愛する様子、人々に確かにある満足感、手作業の緻密さや工芸品の完成度の高さ、自ずと保たれる民衆の秩序、腐敗から遠い役人の清廉さ、畳や食器をはじめとする質素だが無駄なく豊かな生活道具、そしてそれを用いた生活習慣。
欧米至上主義どころか、自らの拠って立つ欧米の文化を省みるようにして、日本文化の世界の中での特質を描く様は、私たちに誇りさえ抱かせ、また同時に、現在までに我々の中から何が失われたかを痛切に思い知らせてくれる。
古代への情熱―シュリーマン自伝 (新潮文庫)


訳者の石井和子さんは、専門的な学者というわけではないらしい。フランス語に長じていたために、シュリーマンに強い関心を持っていた息子が旅の途次にパリ国立図書館で「発見」して持ち帰ったこの原本のコピーの訳を頼まれた。この本との出会いを機に、シュリーマンに惹かれ、本書の訳の正確を期するために国内外の各地に足を運び、幕末の日本についてもいろいろ調べられたという。
私家版として作られた親本が専門家の目に留まって、このように公になったというが、大切に訳されたことが伝わる、いつくしみたくなる1冊だった。


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