T先生


同窓会の連絡のために作られたブログが、後日談を伝える。
今回、招待に無言を貫いたT先生に、Mくんが学校まで会いに行ったということが書かれていた。


気になる先生であった。
私は担任をしてもらったことはなかったけれど、卒業後年賀状をしばらく出していた。
高校時代、私は現代国語をT先生とK先生の二人の先生に教わった(T先生にははじめ古典を教わっていたと思う)。
いずれの先生の授業にも、大きく影響を受けた気がする。
ついでに言うと、浪人したときに予備校で現代国語を教わった、もうひとりのT先生にもいろいろと目を開かれた。


Mくんの問いにT先生は、私たちの学年にはパワフルな生徒が多く、大変難しい学年だったこと、特に1年生のときはいろいろ頭を悩ませた、と答えた、とあった。
それだけのことだったのだけれど、読んで、すとん、と何か腑に落ちたような、ほっとしたような気がした。
これ以上ないほどに単純な客観化さえできないくらい、厄介なものなのだと思い知った。


Mくんは、涙が溢れそうだった、と書いていた。その「腑に落ちる感じ」は、現場ではそんなふうに感じるようなものだったのかもしれない。
字面を追いながら、そんなことを思った。
「そうだったんだ」とか「だからか」、とか、断片的な形になりきらないいろいろな言葉が心中を飛び交う。


中学や高校のころに関することというのは、どうしてこう、先に有形無形の感情がどんどんわきあがって言葉にしがたく、うまく捕まえられないのだろうか。
20年を経た今、私自身が良くも悪くも整理されてしまった感覚世界を生きていることを、知る。
当時の息苦しさは、「整理の技術」の有無よりも、絶対的な感情のボリュームや種類の多さや、抱えていたものの位置づけにくさによるらしい、とも知る。


そういうものにとことんつきあう、ということが私はあまりできない。
しかしスルーもできず、義務感のようなものに絡め取られて一通りだけ付き合ってしまう。
昔からそうだ。
それは軽やかでもなく、さらにはどこか浅薄でもある。我がことながら、収まりの悪いキャラクターだと思う。


Mくんは、とことんまっすぐにこだわれる人のようだ。
それを、どこかまぶしく見つつ、素直に脱帽するような気持ちになれるのは、年を経て私自身が落ち着いたことを表しているのだろう。


こういうことまでしてくれて、さらにそれを報告してくれるMくんに、あらためて感謝の気持ちでいっぱいである。
知らず知らず長く抱えていた重荷を、少し下ろしてもらったような気持ちがする。


[fin]