あわただしく年も暮れ


今日は一日、年賀状(というか寒中見舞い)の作成にはじまり、終わる。
相方の実家とうちの寒中見舞いのデザインを2種やりあげたら昼だった。
年頭に受け取った年賀状の束で宛名を確認し終わると夕方。
手間取った、と思いながら印刷に取り掛かって、今はようやくプリンターがせっせと働いていて、紙の補給とインクの補充だけが私の仕事である。


暮れ行く今年をざっと振り返る。


仕事:
仕事それ自体があることや、収入について思い悩まないでいいだけ、相当に恵まれているが、しかし苦しい1年だった。
昨年度すでに相当にいろいろな役職が集中して苦しい状況で、それを解消しなければならないことを管理職と確認していたのに、年度明けの時点で職業科の取り纏めの役まで引き受けざるを得なくなり、1年生の学科配属が決まるまでの半年は、消化不良が当たり前のよれよれ飛行だった。
今年度受け持ったクラスは、昨年度に勝るとも劣らない難しい問題が多く、1年近く経っても未だに高い緊張を要する。昨年より苦しいかもしれない。それでも少しは落ち着いてきたと思った矢先に、今度はパートナーが体調を崩してしまったため、また先行きが見えなくなって年を越す。
まずは3月までに仕上げなければならない仕事が目白押しなので、そこを今の状況で何とか乗り切ることが当面の目標である。


射撃:
ロンドン五輪に関する最初のデッドラインとなる年だったが、その点で結果的には最悪の1年となった。
仕事のほかに、射撃の指導に関わるいろいろな用事が増え、時間的な制約が厳しくなっており、選手として集中して取り組めなかったことが要因である。
10mに限局して出してきた成果は維持できる、ということを前提に、裾野を豊かにしてさらに新しい知見を得よう、としばらく手付かずになっていた50mを年頭に少し再開した。滑り出しは順調だったのだが、結局そこで(ある程度予測もしていたのだが)必然的に生じた技術的な混乱が尾を引いて、1年中ずるずる不調のまま過ぎてしまった。
手を広げられる状況ではなかった、ということなのだろう。
そんな中で、国体の10m伏射で辛うじて意地の3連覇ができたこと、西日本選手権でロースコアながら久々に50m三姿勢120発の優勝が転がり込んできたことは、本当にうれしかった。
来年は、デッドライン脱落組として、再び純粋に技術面の伸長だけを目指して撃ってゆくことになる。今年の反省を踏まえた、しかし基本的には同じ方向性で取り組みを進めたいと思っている。
指導については、少しずつ無形の蓄積を形にして、整理してゆくこともしていきたい。


家庭:
息子の誕生が、クライマックスとなった。
台所と洗濯を引き受けることにして、家事全体がうまく回るようになった。
夕食を食べてから料理し、その間に洗濯機をセットする、というのがそう苦でなくなった。相方の買い物のリズムとも、調整がついて、新しい冷蔵庫が有効に機能している。
年明け早々、息子とともに家に帰ってきて生活を再開したら、新しいパターンを確立するのにしばらく悪戦苦闘することになるだろう。
家庭で何を担うか、私の時間マネジメントの方向性をどうするか、を勘案しながら「次」の勤務先を考えていくことを、そろそろ始めなければならないだろう。


さて、印刷と修正は紅白が終わるまでにはぎりぎり間に合いそうにない。
実家へ移動して晩御飯を食べるのは、年が明けてからになりそうである。


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