「あかちゃん」


昼寝で娘を寝付かせるのに、絵本を読む。
相方とともに、3人だけで寝ころぶのは久しぶりだった。


あかちゃん (バーニンガムのちいさいえほん)
赤ん坊は少し静かにしてくれていて、この間は義母に任せた。
娘が一緒に遊びたいと思っているいとこたちが家に到着するのが聞こえた。
それを娘に気付かれないよう、ごまかしながら絵本を読む。


娘が布団のところに持ってきたのは、バーニンガムの「あかちゃん」という小さな絵本だった。谷川俊太郎が訳している。


簡素な画で、1ページに1行程度の文章がついている。なんてことのない絵本だなあ、と思っていた。
眠気を誘うつもりもあって、何度も繰り返して読む。


「ぼくは、赤ちゃんが大好きなときもあるしー」
「大きらいなときもある」


「ごはんをぐちゃぐちゃにする」
というくだりがお気に入りだったようで、はじめはそこを読むと嬉しそうにしていたが、そのうち
「あるしー」のところを面白がるようになった。


「大きらいなときもある」って、「ぼく」が言ってくれるのを、どんなふうに聞いているのかは、よくわからない。
でも、そういうことも言っているんだ、と知っていることは娘にとって、大きなことかもしれないなと、何度も読むうちに思う。


娘はこの1週間で、すごく無理を言ったりすることが多くなった。少し変わってきたかな、と思う。
赤ちゃんがやってきて、彼女なりにはりきってやさしいお姉ちゃんをしてくれているけれど、思うに任せないことも増えただろうと思う。
その代償からか、特におじいちゃんには結構、えらそうに無理を言い放題のようだ。
やさしいおじいちゃんは、頭洗いたくないというと、そのままお風呂から出してしまうほどに、娘の言いなりになっている。それをまた他の大人に怒られたりしてしまうおじいちゃんには、何とも申し訳ない感じがしている。


いちばん鬱陶しいことを言う大人、というポジションの私は、相方の実家ながら、ちょっと雰囲気を壊すくらいに娘に注意したり顔をしかめたりしている。
いろいろしてもらっていて楽チンをしているのだけれど、裁量の及ばない部分が多いことを歯がゆく、もどかしく思うことも多く、ときどき複雑な気分になる。


さて、絵本の最後は、
「早く大きくならないかなー」
と結局は、まだよくわからない「別物の存在」であることを「ぼく」が実感して終わるのだけれど、娘はまだ赤ちゃんに対して、そんな感じは持っていないようだ。
私の方は、ただ面白がっているだけで結構やってこれた時期を、娘の方が脱しつつあることを、赤ちゃんとの対比や、赤ちゃんの登場による変化から実感しているところである。


[fin]