日本近代文学の起源


柄谷行人の「日本近代文学の起源」を読み終えた。
定本 日本近代文学の起源 (岩波現代文庫)
そもそもは、橋本治の新刊をチェックしていて、どうも「失われた近代を求めて1 言文一致体の誕生」がよくない、というような書評にぶつかり、そこからより基本的な文献である本書へと辿りついたものである。


初めから最後まで、とても面白かった。


学生時代に柄谷氏の批評はいくつか読んだことがあったけれど、そのときには、面白いけれどなんだか読もうと思っていたことと違うところの話を聞かされている、というような感じがあった。
この本を先に読んでいたら、全く違った読みかたになっていただろう、と思う。
書いている人の問題意識のありかそのものを、まとまった形で出した本から読む、ということはとても大事で、そういう意識がないまま散発的に読んでいた学生時代の読書は、実りが少なかったなあと残念に思う。
わかっている人には当たり前でも、そうでない人にはわかりにくいその辺りの情報が、ネット時代になって、容易に、割合外れなく得られるようになったことはとても大きい。


断片的には、関川夏央氏などの本を通じて作り上げてきた明治大正期の文学に関する鳥瞰の中で把握してきたものと重なるところが多かったのだけれど、それらがまとまって項目ごとに論が展開される様に、ばっと目の前の扉を開かれるようだった。
「近代」、「文学」、そして「近代文学」というワードを無批判に使うことなく、それらを解体していく展開に、手に汗握るような感じで読み進んだ。


日本の歴史事情から、この地で凝縮して展開されざるを得なかった「近代」、そこで文学をめぐって行われた様々な営みには、ヨーロッパなどと共時性も共通性を持って相通じつつ、しかし、かの地では鮮明に把握することのできない「近代」の持つ様々な相貌や局面が現れている、という説明は説得力がある。
そして、ただどんどん遡りさえすれば、そこに「本来の姿」や「正当な起源」が見つかるわけではなく、日本において「端を発した」明治20年前後をしっかり把握できれば、そこに起源も終焉の芽も探ることができるのだ、という「構え」が、この本を面白く読ませている、と思った。


[fin]