守護神の交代、そして性別の判明

冷蔵庫の運び込み



昨日、冷蔵庫が来た。
相方は朝から定期健診。
生徒の来ていない夏休みならではだが、冷蔵庫を迎えるために、私は休みを取った。


ここまでお世話になった冷蔵庫を送り出すため、周囲のものを片付け、冷蔵庫が不在の数時間に備える。
ひとたび家に来ると10年以上の単位で、台所に鎮座し、その不在は数時間であっても、結構な騒ぎになる。
守護神とか鎮守とかいったものと、そのポジションは似ているように思う。


ちょうどこの日の朝に届いた生協の通い箱でなんとかならないかと思っていたのだけれど、届いてみたらとても無理、とわかった。検診から帰ってきた相方が、氷や布製のアイスボックスを買いに行く。


冷蔵庫到着予定時刻の間際に、庫内のものをそこへぎゅうぎゅうつめた。
少なくなるように、この1週間心がけてきたつもりだったけれど、結構な分量だった。
普段は入れないクーラーをしっかりかけて、出したものが少しでも悪くならないようにする。


配送業者は予定時間のはじめに近い時間帯にちゃんとやってきた。
ドアや通路の幅をぱっと計って、(私たちにはとてもそうは見えなかったが)「大丈夫、大分余裕がありますよ」、と鮮やかな手際で冷蔵庫を入れ替えて行った。


前よりも一回り大きいので、台所に入ると思わず、「おっ」と身構えるけれど、心配したほどではなかった。
2時間空回ししてから、出してあったものを納める。
あまりにすかすかなので、感激する。
保育園から夏祭り前に課される、「3リットルの氷」も、これならちゃんとうちで作れそうである。
庫内の温度が落ち着いてみると、いかに前の冷蔵庫が「冷えていなかった」かがよくわかった。
当てにしすぎてもいけないが、「悪くなるのと競争するようにして料理する」という状況から脱せそうで、うれしい。


10数年を経て替わるわけだから、一般的には珍しくもないらしい様々な機能がいちいち新鮮である。製氷機・プッシュボタン・フレンチオープンの扉・庫内の引き出し・・・。
潤沢に氷が使えるというのは、思いのほか贅沢な気分を味わえるものだと、このたび初めて知った。


娘が帰ってくると、「新しい冷蔵庫来たん?」と見に来て、すぐにプッシュボタンを押して扉を開けてしまう。
製氷室が娘には程よい高さで、自分で氷を取って、あはは、と笑いながら食べたりしている。
位置が高い冷蔵室も、ボタン式のおかげで娘に開け閉めができてしまうのは良し悪しだが、今朝は早速一方の扉を開いて見上げ、
「ヨーグルトあるな。イチゴもちゃんとあるわ。」
と確認して、また閉めていた。
昨日の今日で、こういうことをするあたり、なかなかおそろしいやつである。
デザートの要求を、庫内の裏づけにもとづいてされそうな勢いである。


ところで、昨日の検診で、二人目の子が男の子だとわかった。


両親は、女の子に続いて男の子も授かったことを、ことのほか喜んでいた。
夜になって、医院で録ってもらってきた、エコー映像のビデオテープを相方と見た。
検診の時間帯の違いもあるのだろうけれど、やたら活発だった娘のときとちがってずいぶんおとなしい。
素人目にも、ああこれは男の子だな、とすぐわかる。エコーの粗い像でもわかるものなのだ、と変なところに感心する。


娘は、自分に妹なり弟なりができて「お姉ちゃん」になる、ということを十分に理解していて、しかし早くもそのことに少し不安定になっている。
その話題になると、この歳にして、話題を自分から替えてみせたり、それまでなんともなかったのに、持っている折り紙をびりびり破ってしまったりする。
「ママがいいー」、と駄々をこねて相方に付きまとって困らせる、ということも多くなってきた。
娘の第一子ならではの葛藤がはじまっているのだなあ、と思う。


新しい命の灯がともることへのストレートな喜びとともに、すでにそれぞれに当人にとっての試練をそこに孕んでいることが見て取れることをほほえましく眺める自分がいる。
私や相方も経験してきて、子供たちにもできることなら知ってほしいと思う、兄妹あっての心強さやら葛藤やらが混沌と交じり合った、豊かで厄介な感情のいろいろ、「姉弟」となることでしか経験できないそれを、娘や生まれ来るその弟に「贈る」ことができることを、幸せに感じる。


[fin]