孔子伝


孔子伝 (中公文庫BIBLIO)
白川静氏の「孔子伝」を、昨日読み終えた。


購入して軽く10年、といったところか。
読みかけては、挫折、ということを2-3度経ている。
中国古代思想についての基礎的な知識があまりに貧弱で、出てくる人名・書名・地名、使われている漢字、どれもあやふやにしかわからないまま、どんどん進んでいくことになるので、だんだん不安になってギブアップする、ということを繰り返した。


わからないなりに、これは面白そうなことが書かれている、と感じていたし、こういう内容のことを知る上では避けて通れない本だ、ということもあちらこちらで聞くので気になっていた。


わからないことだらけなのは、相変わらずだった。
わからないまま先に行く不安も、さして以前と変わらないようだったけれど、時間がかかってもいいや、と「進まないこと」にあまり焦らなくなって、居眠りしては次回同じところから読み返したり、また前に引き返したりしてるうちに最後まで読んでしまった。


本の序盤では、孔子の人となりについて展開される。
かつて主流だった「聖人」然とした孔子像は、この本のお陰ですでに過去のものになっている。
それは、直接間接にこの本の内容を積極的に紹介した、呉智英氏や酒見賢一氏の書によるところが大きい。
間接的にすでにこの本のお陰を蒙っていて、呪術的な世界と交錯する孔子像の方にすでに親しんでいたので、ここにはさして驚きはない。


しかし儒の成り立ちについての章の、「古典が未成熟」な時代における創造の意味について触れた部分から面白くなってきた。
儒教の批判者」に描かれた、他の学、墨・孟・老・荘等と儒の関わりから見える孔子の位置や、思想全体の変遷、それも「思想」それ自体が生まれ出てくる景色には、興奮を覚えた。


論語」については、必要とする人に、必要な部分だけが取り出されて触れられる、ということが多く、全体についてはよくわからない感じがしていた。
大して詳しいわけではないが、「聖書」はその成り立ちの複雑さを素直に形式にも反映していて、その成り立ちや内容はともかく「複雑さ」自体は理解しやすい。
論語」もまた、ただ「篇」で一まとめにされた小文を重ねた形をしているが、述べられたものを後世の弟子たちがまとめたものである。多くの人の手による年月をかけた成り立ち故に、入り組んだ複雑なつくりになっている。
どのように編まれたかを、資料に基づきながら解きほぐした最終章は、文献としての「論語」を明らかにし、身近な書物に感じさせてくれるものだった。


今回ようやく読み終えてみて、何がわからないのか、(中国の古代思想について)手がかりになる項目にはすべて触れたような気がしている。


一時期毎日のように出入りしていた学校の図書館。
その薄暗い一角を占めていて、どこか気になりつつも「縁ができるのはずっと先」と感じていた、造本のしっかりした書物の一群。ずらりと布製の背表紙の並んだ景色が、頭の中に浮かんでくる。


おそろしくゆっくりとだけれど、機は熟してきたようである。


[fin]