うみべのなつやすみ

うみべのなつやすみ



福音館書店に「こどものとも」という、毎号一つの物語に一人の画家が全場面をとおして絵をつける、ペーパーバック版の月刊物語絵本がある。
絵本の新作発表の場となっている「雑誌」なのだけれど、薄いながら、それ自体が立派な絵本の格好になっている。定評の高い福音館書店のラインナップとなっている様々な作品が、ここから生まれてきた。


相方の実家にはたくさんの絵本や児童書がある。
相方の兄たちが幼少のころから買ったりもらったりしたものが集まったものだ。痛み具合も様々なら、その中身も玉石混交を許すくらいのスケールがあり、なかなかいい。広間に面した書棚に並ぶ本には、私にも懐かしいものがたくさんある。
その中に何冊かこの「こどものとも」があって、最近、管瞭三の「うみべのなつやすみ」という作品の号を、義父が娘に貸してくれた。


寝る前には、本読んでー、というのが娘の習慣である。


ここ最近は、「ぐるんぱのようちえん」や「ノンタン」に代わって、この「うみべのなつやすみ」が「かばくん」シリーズと並んで、ヘビーローテーションである。
大型絵本 ぐるんぱのようちえん (こどものとも劇場)
かばくんの はる なつ あき ふゆ (かばくん・くらしのえほん)

海辺にある父の田舎へ、兄妹が電車で先に帰省し、祖父と舟釣りや水泳、遅れてきた両親も加えてのお墓参り、晩餐、盆踊りに夜の花火と、海辺で過ごす夏の日々を、美しい絵でフルコースで紹介してくれる内容となっている。


娘にとっては、自分よりもちょっと大きいくらいの子どもの目線で描かれた様々な場面がなまなましく楽しめるようで、一心に絵を見ている。


釣りのシーンでは、
「この中にさかながおんの?」
と海面を指差して尋ねる。
その真剣な問い様に、「そうか、それは『知識』だよなあ」、とあらためて思う。


この絵本に限ることではないのだが、「一揃いの何かが欠けていたりすることに気がつく」というのが、最近の娘の傾向である。
たとえばこの本では、幼い兄妹が一足先に祖父母のいる田舎へ帰るシーンで、列車まで兄妹を見送りに来ているのは母親だけで、後のシーンでは父と母が田舎に来て、兄妹たちと一緒にお墓参りをしたり、夕飯を食べたりする。
何度か読むうちに、見送りのシーンでは、
「お父さんおらんなあ、どうしたんかなあ」
と問いかけて何か考えているし、男の子が海を泳ぐシーンでは、描画の関係で片方の脚が身体に隠れている絵を指差して、
「足一本しかないでー」
と、しきりに気にしたりする。


この夏も、また淡路島に行けたら、と思っている。
今年の海は、娘の目にどんな風に映るのだろう。
これだけ予習したら、花火もしなくてはいけないなあ。


[fin]