明け方の勝利


試合開始時刻の午前3時半から観ると、その後の体調に障るのが明らかだったので、それはあきらめる。
しかし、少しでもリアルタイムで観て結果を知りたい、という気持ちがあって、後半の終盤は確実に観られる午前5時に起き出すことにした。
これならちょっと普段より早起きするだけのことで、健康的なくらいである。


前回のオランダ戦は、カメルーン戦に続いて、しっかり観た。
0-1で敗れたわけだが、負け試合を観た、という嫌な感じが一切しなくて、不思議なくらいだった。
優勝候補の明瞭な格上相手で、明らかに挑戦者だったから、ということも大きいが、まず何よりも試合の内容が本当に途切れなく面白かった。
無得点であっても、攻める姿勢と得点の可能性をうかがわせるに十分な動きを見ることができた。
守備も「攻撃的」で、見ごたえがあった。


デンマーク戦は、引き分けても決勝トーナメントに行ける、という状況を作ったわけだから、本当に意味のある0-1だったわけだ。
伝わってくる、日本チームの雰囲気のよさが、何よりもうれしかった。
地に足着いた感じで、勝ちを取りにいかないと引き分けもできない、と一丸で考えていることが、ニュースの端々で読み取れる。


起き抜けに恐る恐るテレビをつけると、2-1だった。
リードしている。
それもすでにもう2点も取っている。


相方をあわてて起こし、残りに見入った。
程なく、流れの中で鮮やかに3点目が入った。


試合終了。
堂々の決勝トーナメント進出である。


カメルーン戦直前、「日本代表は堂々と3連敗すべきである」というような記事を読んで、そういうものなのかもしれないと思ったものだった。
成功よりも失敗にこそ学ぶことは多い。ドイツでの大失敗があって、それに学べなかったのかというもどかしさはあったが、それでも改めてまた失敗から学ぶも良し、と腹をくくっていたのだけれど、周囲が非難を轟々と浴びせる中で、当事者たちは何かをすでに掴んでいたのである。
すべきと思うことは、周囲が非難しても変えないし、賞賛されてもまた変えることはない、と語る岡田監督以下選手およびチームスタッフが、何を試し、どう備えていたのか。
「成功」となった今でこそ関心が向けられているけれど、(僥倖も含みつつ)「いい結果」を介さなければ、結局はサッカーに相当に詳しいと思われる人たちにさえ、それらは事前にはまったく共有し得なかった、ということに、こういうことの根本的な難しさや周囲の理解力の拙さ、というものを考えてしまう。


朝の町の風景は、いつもと変わるところはないし、特に人々がそのことを話題にして盛り上がっているわけでもないのだけれど、ほぼすべての人がこの結果を知っているはずだ。
そういう人々の内面が集まっているからか、どことなく空気は軽やかで、いつもより晴れやかに感じられた。


[fin]