ブラタモリ

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今の私の生活は、TVをつけて観られる時間が不規則で、ごく限られている。
しかし、木曜日の10時というのは絶妙だったようで、その始まりに偶然遭遇し、その後も楽しみにしながら観ることができた。
タモリさんが、東京(横浜の回もあったけれど)の街を地形に注目しながら歩き、そこここに残る、成り立ちの痕跡をたどるとともに、その変遷を地元の人たちの証言や、研究者の解説、古地図などで明らかにしてゆく番組である。
昨日が「六本木」で、最終回だった。


街歩きは、私もすきだ。
もうそんなことが出来なくなって久しいけれど、行き詰った感じがして、具合が悪くなってくると、何となく古い街に出かけたものだ。特に当てもなく、そこにある新しい道と、旧い道を歩き比べてみたりして、古くからある商店や家並みを眺め、あれこれ想像したりすることで「調子」を戻していた。


東京というところは、関西でずっと暮らす私にとっては、まずどうしても「首都」であり、その記号性が邪魔して、どことなくのっぺりとした印象しか抱けないところがある。
でも、記号のひとつとして知っていただけの「地名」が、この番組で取り上げられるたびに、ぐっと実体を伴った「場所」へと変わっていくのが面白かった。


お店の紹介など、いろいろな街の「今」を取り上げる番組は、たくさんある。しかし、それらはその場所の特徴をアピールするものでありながら、それらからは、そこもまた身近な見知った場所と「結局は同じ」だという印象を、より多く感受していたような気がする。
地形や外貌の変遷・歴史、というものが、その場所について感受させる力を、面白く感じて観ていたのかな、と終わってみて思う。


短期間で終わってしまうことを見越してだったのだろうけれど、贅沢に1つの街を1回で扱ってしまう「潔さ」もこの番組の特徴で、ああ、もう少し観ていたいという余韻がいつもあった。


六本木ヒルズの後ろ側にある、消えてしまった坂道を見た後で語った、タモリさんの「変わり行くのは賛成だけれど、「人の力」が持つそもそものスケールを大きく超えるような、ある種の乱暴さで、地形を大幅に変えてしまう、というのはなんかさびしいんだよね」という内容のコメントに、私も共感する。


「すみずみまできれいに置き換わってしまう変化」による「美しい豊饒さ」よりも、変化を繰り返しながら、あちらこちらに何らかの痕跡をとどめ、「これは何だろうか」というピースに満ちている「雑多だけれど時間の豊饒さが身近にあること」の方に、豊かさを感じる。そういうセンスは、あまり受けないのかもしれないけれど、断然そちらの方が面白いし、安らぎも感じる。


http://www.nhk.or.jp/buratamori/


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