フィギュアスケートに思うこと


バンクーバーオリンピックが閉幕しようとしている。


最大の話題にして、国民的な関心事ともなったフィギュアスケートについては、採点競技ならではの難しい側面が象徴的に現れる大会となり、スポーツがいかに、実際の競技会場でのパフォーマンス以外を含む、広範なエリアを使って戦われるものであるか、ということを改めて知らしめた。


今大会でキム・ヨナが金メダルであったことには、私としては異論がない。
キム・ヨナ本人はもちろん、コーチやカナダのスケート連盟が、「金メダルをとろう」という目的に向けて、すべきことをきちんとやった結果であり、教えられることが多い。


採点競技において、その採点方法を分析することはもちろん、その競技において今後その基準がどういう方向へ変わっていくかを見定め、さらにはそこに積極的に関わっていくことは、大変重要なことである。
採点にかかわる人たちと綿密に情報交換してプログラムやパフォーマンスの修正を繰り返す、ということは、高得点を敲き出す上で大変効果的な方法である。
難度にこだわらず、完成度を追求する作戦の有効性を、2年前の時点で見抜き、周囲との調整を進めながら一貫して貫いた手腕は、金メダル獲得という目的に最もフィットした素晴らしいものである。


国家レベルの競争という観点からも、この勝利には磐石の布石がなされていた。
国際競技組織に、たくさんの人材を送り込めるかどうかは、その国の「競技力」そのものである。特に採点競技はそうであろう。
韓国はもちろん、カナダもその重要性を痛いほど感じて、努力をしてきたことがわかる。


日本は、東京を2016年のオリンピック開催地とすべく、随分とお金もかけて招致活動をしたが、国際的な競技組織で代表者を務める日本人は皆無である。
発展途上の国に、そのはずみ車となるようイベントを開催させる、というのでなければ、スポーツに関して成熟したところを示して国際的にオリンピックムーブメントを牽引できる国であることが、招致を勝ち取る基本的な姿勢だというのは、結構明らかなことだと思うのだけれど、その辺りから見ると、この1点だけを持って、東京招致は滑稽だった部分が否めない。
「政治」と馬鹿にする向きもあるが、とんでもないことである。勝利を得ることを命題とするならば、本来もっともわかりやすく力を注ぐことのできる部分であるはずである。そこを蔑ろにしてきたツケは、大きな影を落としている。
選手以外のスポーツ関係者が(選手も、だけれど)、それを生業として生きていける環境が、日本にはほとんどない。それはこれまでの機構や組織の問題でもあるが、そういう地位しかスポーツに与えられない国内の状況であり環境なのだ。


私は、競技者としての高みを、周囲の情勢や価値観にとらわれず、自らのうちに描き出し、それを希求する浅田真央プルシェンコの、選手としてのあり方に強い共感を覚える。
勝敗とはまったく別にして、私の中では、キムヨナのそれよりも、浅田真央のパフォーマンスの方に高い価値を感じている。


トリプルアクセルという、誰の目にも明瞭なわかりやすい形で、スポーツ選手の「技量」の面でキムヨナにできないことを、確実にやってみせることのできる、稀有な才能の選手を抱えながら、それが評価されるような枠組みを維持することに無力だった、日本のスケート関係者・スポーツ関係者の責任は非常に重い。


タチアナ・タラソワさんについては、もし金メダルを取らせることが至上命題であったとすれば、このオリンピックに向けた浅田の2年間は、作戦ミスだったことになる。
しかし、タラソワ・コーチもまた「スケート人」であり、彼女もまたスケート選手が目指すべき姿について、浅田と志を同じくする者であれば、間違いなく「アスリートとしてもナンバーワン」となる選手を育てることに力を注ぎ、スケート界の「観衆の満足度に流されて完成度をずるずると評価に組み入れてしまう」潮流に、自らが手塩にかけた最高の選手とともに孤立無援で抗ったであろう、と私は理解する。
返す返すも、「そのさらに周辺に位置する関係者」の鈍さ、非力さの罪の深さを感じずにいられない。


ネットの世界ではすっかり当たり前のことのように情報が流れているが、いわゆるマスコミ報道において、「基本的にキムヨナ絶賛」の論調以外がまったく見られないのには、電通を中心にしたメディアの締め付けがあるという。そうなった理由のひとつとして、シンボルアスリートを辞退した選手に対しては、基本的に支援をしないという暗黙のルールが作用しているらしい。
それ自体が、この国の周辺事情の「狭量」を示しているが、「そういうもの」であれば、それはそれとして、そういう条件をうまく乗りこなさねばならない。


選手にできることは現場でのパフォーマンスを最大にすることだけであるが、スポーツ「競技会」の勝負は、現場のパフォーマンスだけで決するのではないのである。
メダル獲得を第一義とするならば、周辺の者がしなければならなかったことは、長期的に見てたくさんある。
それがいかに貧弱だったか、ということが、浅田のわかりやすいまでに秀でた才能・努力をして、いかに結果に結びつかないかということで、衆目の前に明らかにされた、のが今回の大会だったと思うのだが。


選手とコーチの努力だけで何とかなることであるかのように、未だに「本当に」思っているならば、スポーツ界もマスコミも観衆も、相当におめでたいことである。
この様子では、転落がまだ続くのだろうと危惧する。


参考URL
http://d.hatena.ne.jp/m0612/20100226/p1
http://nereidedesign.jugem.jp/?eid=203#sequel


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