松尾薫さん


昨年から、Tくんを強化する担当になっている。
Tくんの地元は、私にも少しだけなじみがあって、親しい選手が何人かいる。彼らが育ててくれたTくんを「引き継いだ」、という責任を感じている。


Tくんは、高校生の全国選抜合宿に私が招かれて講義やら指導やらをしたときに、高校生として受講していて、最初に知った。
選抜合宿のときは、彼自身の独特の人懐こいキャラクターと、彼のバックボーンへの親しみから、講義の中ではよく当てて意見を求めたりした。
どちらかというと無味無臭、といった感じの高校生が多い中で、強い印象を残す数人の中の一人だった。


当時からそうだったのだが、ジュニアの代表に選ばれるくらい爆発的な得点も撃つが、そういう選手が普通は撃たないであろう酷い点も撃ってしまう、という(独特の)波の激しさがある。
彼の所属チームは、計算できない、と起用方法に頭を痛めているようだし、担当した私もこの1年弱でその傾向が意外に根深いことがわかって、コーチとしてぶつかる壁の一つ、という感じになっていた。
本人は、その辺を気にしているのかどうだか、あまりよくわからないところがある。
彼くらいのベストスコアの高さがあると、そこまで酷い状態に一度陥ったら、普通はちょっとしたスランプになったりするものだが、そうはならないで、何だかわからないけれどまた爆発的な点を撃ってくる。
彼の不思議なところであり、魅力である。


彼は「考えない」選手ではなくて、反対にぐるぐる考えて彼なりにあれこれ理屈をつけてやっている。
自分の感覚に対して頑固なところがあって、人なつっこいけれどコミュニケーションは苦手である。作文よりも計算や工作が好き、というタイプだ。
「いいとき」の状態について、彼自身が把握している「自己像」と実際の状態に乖離があるのだろう、と思ってアドバイスを要所要所でしてみるのだけれど、その場では「はい」なんて言っていても、次に会うとそれはその場だけだった、ということはめずらしくない。


それなりにつけてくる理屈は、なんだか私自身も昔に覚えがある内容で、彼なりに積み上げてきた知識をうかがわせる。
びっくりするほど考えずに来た選手を相手することも多かったので、心理的な面はともかく、技術的な面では、つい「教え込んでしまう」方向に偏る傾向が私にはある。もう少し、彼のこれまでの射撃を形作ってきたバックボーンを理解し、寄り添う必要があるかな、と反省した。


今回の合宿は、人数が少なくてじっくり相手ができたので、そのあたりを聞いたり、教えてもらったりすることができた。
最近の学生の口からはあまり聞くことのない、骨太な方法論が彼の背景に意外と色濃くあることがわかってくる。
九州で何年かに一度、松尾薫さんが講師として招かれて開かれる講習会で、彼が学んできたものだった。


松尾さんは、私には「懐かしい」人である。


大学で私が射撃を始めた当時、松尾さんは自衛隊体育学校の監督だった。
当時、射撃に関する知識を得るにはまず、ライフル射撃協会が出している2冊の「ライフル射撃教本?・?」を読む、というのが基本であった。そこには長く日本のトップ選手として君臨した松尾さんがモデルとして数多く登場しており、どういう方であるかは、その世界に何もわからず飛び込んだ若造にも明瞭だった。
私が射撃を始めることになった京都では、前の年に、京大射撃部やクラブチームのブルズアイが合同で、自衛隊体育学校からその松尾さんを講師に招いて技術講習会を開く、なんていう柔軟なかつ意欲的な取り組みが行われていた。
時期としては、学生ライフル射撃連盟が、世界トップ射手のマルコム・クーパー氏を招いた講習会を開いたりした直後でもあり、貪欲にトップの技術はどんなものかを探求する空気が社会人・学生の双方に色濃く残っていた。


私はぎりぎりでそこに立ち会えなかったのだけれど、その当事者だった先輩たちに囲まれて「雰囲気」は味わった。
大学で射撃を始めて間もなく、クラブチームのブルズアイからも誘われて試合に出してもらったりした(2回生の時に選抜クラブ対抗戦でわけもわからず連れて行ってもらったのが、はじめての朝霞オリンピック射撃場体験だった、というのは関西の学生選手としては珍しいと思う)。


その後、高校から射撃をやっているセレクションの選手たちの壁が破れずにじりじりすること2年。大学から平等にスタートする50m種目で、3つの姿勢をそこそこにまとめる器用さで学生の中でやっと少し目立つ成績を挙げられるようになって、全日本学生連盟の強化合宿に関西から参加するチャンスを得た。
当時は、朝霞で松尾さんに見てもらえる、というのが学連強化合宿の定番で、私にとってはそこに参加できる、ということが、ひとつのあこがれですらあったから、随分勇んで出かけていったことを覚えている。
クラブチームの師匠が前もって、私が合宿に参加することになったことを伝えておいて下さったことや、京都に指導に行ったときの受講者の熱気が松尾さんには印象的だったこととが相俟って、初対面ながら、松尾さんは親しく接してくださった。
根っから前向きで明るく、周りにパワーを与えても余りある、太陽のようなその人柄にびっくりしたし、すっかり参ってしまった。


その後、それほどお会いする機会は多くなかったのだけれど、松尾さんの中の「京都の記憶」と「私」は分かちがたく結びついたようで、成績も気にかけて下さっていた。お見かけするたびに、「がんばっているね」とかたく握手して、励ましてくださる。
昨年の社会人選手権で、久しぶりにお会いしたときも、元気に当時と変わらない激励を受けて、いっぺんに学生に戻ってしまった。
松尾さんに対して同じような感じ方をしている人は、たくさんいると思う。
何というか、技術論やなんかを抜きにして、射撃をしている人をとにかく元気に、明るい気持ちにする力があふれていて、もうそれだけで十分な感じになってしまうのだ。


初めて、パーソナルコーチのようなことをすることになった選手が、その松尾さんの薫陶を受けた子であった、ということは何か縁なのかもしれない。
ただ、私にとっては長らく、松尾さんというと、理屈や理論でなく、射撃との向き合い方のお手本であり、モチベーションの高め方について悩んだ時の拠り所であったので、その技術的な教えを信奉する、ということがどういうことか少しピンと来なかったところがある。


T君が持ち歩いている松尾さんの教本や高校時代に部内で使われていたプリント類を借りて読んでみる。
彼の、独特な自身のパフォーマンスについての説明を、うまく変換してコミュニケーションする上で、役に立ちそうだ。
理解するため、というのを超えて、彼の射撃に寄り添いながら支えるような方法に変えてゆく契機にしようと思う。


松尾さんの教えは、私が学生時代に受けた教習のルーツのひとつでもあり、懐かしさいっぱいの内容だった。私自身も初心を思い、背筋が伸びる感じがした。


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