ビジネスに「戦略」なんていらない


平川克美氏の「ビジネスに『戦略』なんていらない」を、行きの車内で読み終えた。


ビジネスに「戦略」なんていらない (新書y)
「交換する」ということが人間の本質のひとつであり、利益云々を抜きにして、ビジネスは根源的・本質的に人を惹きつけるものである。
利益は、欲望の誘発剤ではあってもモチベーションではない。「それを遂行することで得られるものがあるから、何かをする」、という等価交換の考えをやめない限り、その「面白さ」なり「本質」なりは見えてこない。
外部にインセンティブがある、ということを当然視し、無反省に原則とする多くの論が、単純な事実を公然と隠蔽している。
人は意味や目的のために働くわけではないのに、意味や目的のために働いているように見える。
労働力は、お金と「等価交換」されるべき、という考えが、一見まっとうに見えてちっともまっとうではなく、それを錦の御旗にして、労働力が一商品として流通させられてしまう不幸が大手を振って歩いている。


「戦略」という言葉がいつのまにか「あたりまえ」になった現在、貸借対照表損益計算書に現れることがすべてであり、「プロセス」は効率化の対象でしかなくなっているが、「売り手」と「買い手」との関係が「繰り返されること」、そしてその中で蓄積されていく様々な「インビジブル・アセット」にこそビジネスの本質がある。


・・・うまくまとめられないが、昨今の違和感に対して考えを進めるための糸口が様々に書かれていて、面白かった。
途中から、なかなか読み飛ばせなくなり、結構時間がかかった。あとがきによると、執筆も後半なかなか進まなかったとあって、そうなのだなと納得した。


昼休み。
かつて担任していたクラスの生徒の死去を電話で伝え聞いた。仕事の合間に、当時の同僚たちに通夜や告別式の連絡を回す。
前の職場では、いつも用意していた香典袋や黒いネクタイを、今は用意していないことに、「あ、そうだな、そうだったな」と思う。
昨日までは、立て続けに遅くまで残らざるを得ない忙しさだったのが、たまたま今日はエアポケットのように大丈夫で、ひとまず私も駆けつける。


24年の生を、わからないなりに懸命に想像し、その重いけれどあっけない生き死ににひととき打ちのめされる。
教え子を先に見送ることが、ごく普通であるこの仕事のことも、再び強く意識する。


[fin]