つぶやく力


津田大介氏の「Twitter社会論 -リアルタイムウェブの潮流-」を読んだ。
Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流 (新書y)


ツイッターについては、何なんだろう、と気にはなっていたが、なんだかよくわからないままここまで来ていた。
まとまった分量を、紙媒体で読まないとわかった気がしない、という旧人類なので、なにかいい本にぶつかったら、くらいの気分でいた。
Amazonでちらと見かけて、どうもこの本は相当に良さそうだ、という感じだったので早速購入した。


まだ使っていない割には相当によくわかった、と思う。
以下、まだ実際に体験はおろかろくに見もしていない時点での感想である。


まだその可能性について未知な部分を残しているが、すでに活用している人にとっては「こちら側に留まるか、あちら側に行くか」、というくらいの変容を伴うこともある新しいサービスらしい、といったところか。
世の中が違った手触りになる、という感じはわからなくもない。


少し古い話で恐縮であるが、「クイズ100人に聞きました」が始まったときに感じた、衝撃とも肩透かしともつかないあの感じとなんだか似ている、と何となく思った。
能動的に、何かある事象を調べに行ったりするわけでなく、たまたま取り上げられている出来事への自分の「反応」だけが関心の接点で、それが周囲ではどんな風に受け取られているか、が「発見」」だったり、面白かったりする。
あの番組が少数意見までよりリアルタイムに、しかも自分を含めて無制限に参加者が網羅されるようになっていて、さらに自分に関係の濃い流れのほうに泳いでいけるから、そこからアイデアや共感を得られるようになっている。


一つ一つの契機は「薄い自発性」なのに、しょっちゅう覗かずにはいられなくなりそうで、生活時間や思考への時間的・容量的な影響が不安である。
使っている人には、ゲームやテレビでも生じてくるアディクション(依存症)の傾向が、少なからず必然的に現れてくるのではないか。


零れ落ちる思考や感想のかけらを、ストアする力は(わたしがこのブログを書いている理由もほとんどがその目的なのだが)、断片的にまめに拾い上げることができて、少し異なった形で高いことが想像できる。大人数が散漫に参加するそれらのデータをうまく処理することで、新しい次元でなにかが見えてきそうだという期待も、何となくわかる。
しかし、同時に自分の思考・感想・行為がだだ漏れになって、「変遷」がオープンになってしまうことには恐怖感を感じる。


また、ツイッターは、情報の流れを形成していくような、コミュニケーション的な側面に、強い特徴を持っているようだ。
私の場合、これまでに使ってきているツール、たとえばSNSもこのブログで、コメントもトラックバックもほとんどなく、ただストア場所がウェブ上というだけになっている。サービスが本来備えているコミュニケーションに関わる特質は全く活用していない。Google Analyticsでチェックしてみると、定期的に見ている人はわずかに20名程度で、「ストア」的な側面しか使ってきていない。積極的な宣伝も、実名公表もせず、臆病に細々やっているとこの程度にしかならない、ということを日々実証しているようなものである。
この臆病さはなかなか変わらないので、ということになりそうこちらの側面についてはまたまた、「へー、ほー」、と近くで傍観するだけになるだろうか。


スマートフォンの必要性は、こういったサービスの「ストア的側面」だけ活用する分には大して高くないが、「コミュニケーション機能」の特徴である、リアルタイムにタイムラインに反応できる、という点に着目すると切実さがあるようである。
iPhoneが特定の層に「必需品」となっている理由もこれでなんとなくわかってきた気がする。


アカウントだけ取ってみて実物を眺めつつ、批判的な文献やハウツー的な文献も読んでみて、いろいろ考えてみようと思う。


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