天皇皇后両陛下のご訪問


私の職場に今日、天皇皇后両陛下がご訪問された。


もちろん、急に来られたわけではなく、6月に正式に予定が伝えられてから今日まで、こっそりと準備が進められたのである。


先月に官報に行幸啓先が公表されてからは、「秘密」でもなかったのだが、当初は職員にも内実は伏せて「大物VIPの来訪」とだけ伝えられ、家族と言えどもその事実を知らせてはいけない、と口止めされた。
事前準備が半端でなく、何ヶ月も前の時点から、あらゆるレベルの警察組織による度重なる現場調査があり、ここまでするのは・・・と消去法で考えると、解は明快であったが、それでも「VIPが誰なのか」を伝えられたのは2ヶ月くらい前のことであったろうか。


この行事の持つ、存在感は圧倒的だった。


まずスケジュール的に、これを優先しなければならない。本校の最大の特徴である「就労支援」の柱、「職場実習」も、前年度末からの日程的な手配や準備があったと思うが、変更を余儀なくされた。予定では2学年全員プラス、残りの1学年からも多数が臨んでいる日だったのだが、急遽実習の日程が変更された。大変な数の関係企業に、詳しい理由を伝えられないままに、頭を下げて変更への協力をお願いしたのだと思う。
2週間単位の大きな行事だけに、前後の行事の再調整も大幅に行われ、年度途中にして前後2か月分くらいの行事予定が新しく作り直された(もっとも、その後のインフルエンザによる臨時休業などの対応の方がさらに複雑で、このときの変更作業は、なんだか遠い記憶になりつつある)。


本来右折しては入ってこられない正門前であるが、御着の際、警備上の安全面から「右折入構」しかないということになったようで、右折を制限するセンターラインのポールが取り外された。
車道から正門に入る部分の路面の段差が少し大きかったか、溝の部分に保安上問題があるためか、道路工事も行われた。
数十人単位の警官による実地調査や警備のシュミレーションを繰り返す中で、校舎内も、警備上危険となりうる箇所の徹底的な洗い出しと、その改善が図られる。
遠距離からの狙撃がありうると目される窓にはすべて、曇りガラス状になるフィルムが貼られた。
分刻みの行幸啓のスケジュール、詳細な校内の移動ルートが定められ、その経路では掲示物の押しピンが全て撤去され、テープ張りにされた。
死角を作りそうなテーブル類も撤去される。


全職員・全生徒の当日の動きや居場所が細かく把握されて、予定外の行動は厳禁である。
視察対象となる授業については、わずかな視察時間内に、これこれを見せよう、と細かい要求が出される。授業担当者はそれに応えて、生徒に「教える」ことよりも、「紹介」としての効果が最大になるような授業案を分刻みで提出することになり、チェックを繰り返し受けたようだ。


事前に何かを仕掛けられたりすることのないように、実際に行幸啓の行われる日に先立って数日は24時間体制で継続した警備が敷かれる。
電信関係の工事や、センサーと思しき機器の設置など、日が近づくにつれて様々に警備上の準備が進められてゆく様子が、下っ端にもなんとなくわかる。
学校内外のマンホールなどにはすべて封印が施され、異常がないか詳細な把握が行われているようだった。また、私服警官と思しき人がすでに要所に立っていたりもする。


当日の今日は、職員もIDによる識別ができるようにしておかねば入構できないとあって、前日から、首にぶら下げるカードケースを忘れないようにしなくてはと、何となく落ち着かない。
学校周辺は、前日から警察車両が目立っていたが、一夜明けるとものすごい数の警察関係者が道路各所にいて、近くの空き地は警察車両でびっしり埋まっていた。
早くも、国旗を持った人々が周辺の歩道に集まりはじめている。何でも一番早い人は、午前5時台から待っていたという。
校舎内は、警備関係はもちろん、行政や教育委員会の関係者も多数来ていて、人気に満ちているのだが、しかし緊張感から静かで、少し変な感じだった。
生徒はいつもと同じように登校してくるが、全般にどことなく興奮気味である。


視察対象となる授業の関係者以外は、基本的に目に触れないところにいて安全に管理され、警備上の邪魔とならない、という原則なので、私や私が教える生徒を含め、ほとんどの者が、両陛下はじめ関係者が構内に留まる1時間あまりの間は、定められた教室から一歩も外に出ない、トイレにも行かない、ということになる。
視察対象となる授業の生徒(15人くらいだろうか)を除く、ほとんどの生徒は、授業時間にして2時間目のはじまる少し前から3時間目が終わるまでの間、歓迎をすることも歓送をすることもなく、警備や報道の人垣や曇りガラスを隔てて、何が行われているのかを観ることなく、部屋に留まって授業を受けることが求められる。


本来ならば2時間目と3時間目の間の休憩時間で生徒が入れ替わるのだが、そこが「出入り禁止」であるために、私のところも含め、やむなく職業科の授業はすべて、4時間ぶっ通しになった。
その時間構成の関係もあって、倉庫スペースも活用する実習となったが、あいにく昨日から急に気温が下がり、鉄板一枚で外と隔てられただけの倉庫は相当に冷え込んだ。
こうなると心配なのは「トイレ」である。
倉庫にはトイレがない上に、報道陣や警備でごった返す正門の近くにある。トイレのためには、この人ごみを抜けて、かなり離れた体育館まで行かなければならない。


出入り禁止時間内に、生徒がトイレに行きたくなることは、絶対に避けたいので、1時間目の間にトイレタイムを作る。
2時間絶対にトイレに行かないでいられるか?と確認を取ったら、全員自信がないというので、警備担当者に頭を下げて、ぞろぞろと報道陣の人垣を縫けてトイレに連れて行った。何だか大げさだけど、トイレで点呼を取って、また1列で戻ってくると、御着のほぼ20分前だった。


ドアのところにガラスが1枚ある以外、外は見えないのだが、壁の鉄板越しに、歓声がウエーブのように近づいてくるのがわかった。
唯一の窓の横、シャッターのすぐ外に、先導の白バイや警察車両が滑り込み、ほどなく両陛下を乗せた車両が通過したらしい。
生徒たちは、ガラス一枚隔てたすぐそばで、たくさんの白バイが旋回して並ぶ様に大興奮して、数分間は実習にならなかった。
本当なら、並んで迎えさせたりなんかして、滅多にないこの機会に何か参加させられたらいいのになあ、と思ったりしていたので、外を覗き込むくらいのことは大目に見る。


その後は、舞台は校舎内に移って、周囲はすっかり静かになり、いつものように実習をした。
1時間ほどで倉庫の実習は終わり、生徒たちと奥の部屋に移って次の実習に備えていると、反対側からまた歓声のウェーブが聞こえてきた。
今度は道路に面した窓があるので、外を眺めると、これまでに見たこともない群集であふれかえる歩道の向こうを、白バイを先頭にたくさんの車両が滑り出て行った。


以上でおしまい、である。
沿道には1万人が詰め掛けていたと聞いた。
夕方のローカルニュースの時間には、もちろん帰宅できるわけもなく、ネットに大手新聞社が早々と流したニュース記事で、ああ、本当に来ておられたんだなあ、とお姿を確認した。
午後は普通に授業をして、放課後になると教員全員で、あれこれと動かしたたくさんの備品を元に戻す作業をした。
すごいことが終わったのだなあという、実感はあまりないけれど、かすかに高揚した感じが漂っている。これまでのいろいろな緊張が抜けて、学校全体が放心したようになっていて、何の特別な役割を充てられたわけでもないのに、どっと疲れが出てきた。
今回の行幸啓で、何らかの役割を担っていた人々の大変さは想像に余りある。


事前の長い時間をかけた様々な準備や整備、警備の用意、当日の緊張しながらするいろいろな応対、全部ひっくるめて、「歓迎」であったのだなと、終わってみてぼんやりと思う。


[fin]