結婚披露のお食事会

新郎新婦



京都での大学時代に、射撃部を一緒に切り盛りして以来の友人Mくんと、妹の中学校時代からの友人Nさんが結婚した。
すでに籍を入れており、新生活も始めているそうだ。
今日、あらためて下賀茂神社で式を挙げたあと、岡崎公園の神宮道からほど近いフレンチレストランで披露パーティが行われた。


はじめは、格式ばらず親族中心に食事会をするんだ、という話であった。
しかし、こういう機会はどうしても友人を呼んでおきたくなるし、そこそこ人数が集まってくると、それなりに様式も必要になる。
式が近づいた先日、はじめ思っていたよりも、あらたまった感じになってしまった、とMくんからメールで経過報告があった。
当初、友人はほんのちょっとしか呼べない、と言っていたので、もしや一人だけかしら、と心配したが、同期のSくんやTくんも出席するということでほっとすると同時に、夏以来の再会を楽しみにする。


新郎新婦それぞれから、友人代表でひとりあいさつしてもらう予定なので、新郎の分をよろしく、とずいぶん前に依頼があって、いいよー、と引き受けたものの、何を言ったものかと、今朝になってから緊張しながら原稿を作る。


秋の三連休の中日。
天気は抜群によく、学生祭典なんかをやっていることもあって京都の市内は大変な人出だった。
京都駅からは地下鉄で会場に向かったが、思ったよりも連絡が悪くて、受け付け時間前に着こう、というもくろみは外れてしまう。
それでも開式25分前には着いて、礼服に着替えて会場に入ることができた。
Tくんや妹はすでに席についていた。
妹は式にも行ってきたというので、写真を見せてもらう。


遅刻常習のSくんは、今日もなかなか来ない。
同じ京都駅からだったが、バスを選んで渋滞にはまり、立ち往生しているとのメール。途中であきらめて下車し、走って駆けつけた。
ほかにもそういう出席者があったらしく、開式を少し遅らせてくれた。


白無垢と袴から、ドレスとタキシードに姿を改めて、新郎新婦が入場した。
会の始まりにMくんがあいさつをする。最初に自らあいさつするというのは、とってもいい感じだ。
格式ばらず、くつろいでという内容なのだけれど、Mくんの緊張は手に取るようで、こちらもつい力が入る。


大学の学長をしておられる叔父さんの乾杯で和やかに会ははじまった。


スピーチはこれまで一度だけ引き受けたことがあるが、済んでしまうまでどうも落ち着かなくていけない。
今回は、原稿を見ないで話すことにしていた。
ここまで来ると落ち着いて覚えることなんてできやしないのに、気になって何度も原稿の上を眺めてしまう。
Mくんの叔父による、乾杯の時のあいさつはさすがに面白みもあって立派であった。スピーチはこれを含めて3人だけしかしない、ということでさらに緊張は高い。


何と言うか、自分が結婚式をやってみたから余計に感じるのだろうけれど、誰に依頼するか、それがどんな話になるか、というのは頼む方にも緊張感があって、関係は近いけれど実態はあまり知らない親戚や、交友が始まるまでの自分については知らない友人たちに、自分の人となりや評判を伝える唯一の役割を、そのスピーチに委ねる、みたいなところがあるわけだ。
今回のように、新郎側からひとり、新婦側からひとり、ということは、それぞれにそれを一手に引き受ける、ということである。責任は小さくないと感じる。



新郎新婦がお互いにプロフィールを紹介した後すぐ、ということで順番はあっという間に回ってきた。


射撃部での話にエピソードは絞って、卒業後のMくんのキャリアに対する素直な感想を、敬意を込めて付け加える内容にしたのだけれど、うまく話すことができた。
こうして話す必要に迫られて、文章にまとめてみると、たくさんあるその人との出来事や、その人のキャラクターの構成要素を、手短にまとめて優先順位をつけて整理することになるので、ああそうだったのかと、話す側にとっても見通しが良くなるようなところがある。
当時苦労したことに対しては、ほほえましいような気恥ずかしいようなものもたくさんあることがわかってくるけれど、様々な偶然の重なりの結果として「いい経験をしていた」と思えることは、自分の幸せを振り返ることでもある。


スピーチを終えるとほっとした。


そこからは素直に楽しむことができた。
スライドショーなどで、ここまでの二人の生い立ちが紹介されるのを見たり聞いたりすると、恒例とはいえ、やはりぐっとくるものがある。
二人が出会うきっかけを作ったことを、親族の方々に感謝されたりもする。


たくさん幸福感をおすそ分けしてもらって、出席した私たちも満たされた気持ちで会場を後にした。


[fin]