移動と読書


今日は仕事を終えてすぐ、荷物を担いで新幹線へと急いだ。
来年の千葉国体のリハーサルを兼ねた、全日本社会人選手権に出場するためである。
新大阪から共に出場するTさんと落ち合い、東京駅へは、こちらに仕事で来ておられるAさんにレンタカーで迎えに来てもらった。
そのまま、千葉県に向かい、無事10時半頃、今回の宿舎に到着した。


先日の「難解な本を読む技術」、を受けて、きっちりと「読む」勉強がしたくなった。
はたして何が私の最も考えたいこと、知りたいことであろうかと考えをめぐらせると、共同体やナショナリズムについてではないか、という結論に行きついた。


射撃では代表チームを率いることがあったりして、選手としても指導者としても、最高峰には「ナショナル」であることを冠する組織がある。その背景には、その単位を当然とする「思想」があり、そこに違和感を感じることもある。
仕事上も、国旗や国家の問題として古典的にそういう問題はぶら下がっているし、公共性の根拠にもそのあたりが関わりを持っている。


ナショナリズムの克服 (集英社新書)
5-6年前に「ナショナリズムの克服」を読んだのを契機に、たくさんの書籍を買い込んでそのままにしている。
書店に行って時間をかけることもできあにので、その中から「選書」して1冊を持ってきた。


乗車前にノートを買い込んで、車内でページ割りなどを始めてみた。
毎日1-2時間とって、書きながら読む、というのをやってみたいが、そうはなかなかいかないだろう。
遠征中は、夜に時間があるので、どんな具合か試しに取り組んでみることにする。


試みの初日は、序章をまとめてみた。
脚注や訳注もしっかり拾って、曖昧にする一文をなくすようにして読み潰してメモをするのは、これまでの読書と明瞭に理解する感じが違う。
ああ、こういう感じを「読む」というのか、と愕然とする思いがした。


明日は、朝一番でないのが幸いである。
久しぶりの50m競技を楽しもうと思う。


[fin]