旧交


メールでのやり取りがあって、今日は大学時代の射撃部の同期で集まることになった。
台湾で研究生活をしているH君の学会帰国に合わせて、集まることにしたものだ。
それに、みんなにはまだ伏せられているが、今回はなんといっても、幹事役M君の婚約報告があるはずだ。


日曜日ということもあって、早めに始めて早めに終わろうと、M君が親類の伝をたどって4時から開けてくれる店を紫竹に用意してくれた。
今では、京都に住んでいる者はほとんどおらず、関西一円にも数名が散在するばかりなのだが、いつものようにみなフットワークよく、東京や神奈川、福井から日帰りで駆けつける。


私は、担任していた1期生による、開校後初の同窓会、という仕事に準じた行事が職場であったために、遠くで行われている学生の大会を見に行くことを免れ、出席することができた。
残念ながら、私は朝からどうも体調が悪く、ひどい頭痛がした。
同窓会では、ほとんど何も食べることができず、頭の痛さに「恐る恐る」といった感じで、懐かしい顔に声をかけ、2時間足らずで会場を後にした。
京都までの車内でのんびりすれば治るのではないか、と儚い期待を抱いていたが、到着してみてもいまひとつすっきりしなかった。


10分遅刻だったのだが、すでに5人が着いていて、程なくH君、東京から駆けつけたT君が到着。
大遅刻が常のS君をおいて、ひとまず乾杯する。
京野菜のお惣菜で楽しみながらぼちぼちビールを飲む。
案の定の1時間以上の遅刻でS君到着。


店を紹介してくれたM君の叔父夫妻も訪れられて、にぎやかにすごす。
婚約報告は、M君らしく、私に促されてから取ってつけたようにされた。


職場も射撃関係も、周囲はそれなりにバラエティに富んだ人々の集まりで、起伏もある環境だけれど、日常的に関わるが故の「飽き」がどうしてもある。
2-3年おきに1度だけのこの旧友の集まりは、普段自分のいる世界が「飽き」を抱えながらも、それら全体が時の流れに沿って動いていっていることを思い出させてくれる。
過去のある一点に共有した(その当時に感じていた以上に)豊穣な時間があって、そこから互いに現在の境遇を勝手に演繹することを許せる仲間の存在、というのはとても楽しい。


「あのころああだったから、こうなってるんじゃないか。」
「今のお前のそれは、昔のあれと一緒じゃん。」


そして、それぞれの職場で一定の役割を担う友人たちは、何とはなしに抱えている、互いの「行き詰っている感じ」に、普段周囲にいる人とはできないような会話で、突破口を開けることもできる。
大学の研究室で研究するもの、あちらこちらの省庁や現場に出入りする大新聞社の記者、大きな監査法人から先輩と小さな事務所を興した公認会計士、省庁のシステムを担当する電機メーカーのSE。


おおざっぱに外部の目から見てどの程度評価できるか、自分がこのくらいの線でいい、と思っているラインが順当か、といった、日頃尋ねにくく、またその返答に信用の置けないことの多いやりとりを、彼らとやって、ようやく地に足のついた感じを取り戻す思いがする。
予算・お金、を巡る部分が私は苦手なのだが、その辺りの不得意感とその自分なりの対処法、実感、といった部分についていろいろ話せたのが、今回は助けられた気がした。


さて、遠路帰宅する者の都合に合わせて、予定通りに会を打ち上げたのだが、尼崎の近くで発生した人身事故で乗っていた列車が、一緒に帰っていたM君と別れた後、途中で運休してしまった。
普通電車を乗り継いで見たが、次の駅でその列車も止まってしまった。体調の悪さが堪えてきて、ちょっと家まで帰れそうにない状態になってしまった。幸い、止まっていたのが相方の実家の最寄り駅だったので、お願いして泊めてもらった。明日は、ここから直接仕事に行くことにする。


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