読書の必要


このごろあまり本を読めていない。


仕事などで必要に迫られて読む、もいいが、できればそうでない類の読書が(その「効果」はあいまいなものなのだけれど)したい。
振り返ると、周期的に「読めない」時期がぽこぽこっとできるのだが、そういうときにはいつも決まって、なにか漠然と行き詰ったり煮詰まったりするような感じになる。
あらゆる行動が、ただAをBに換える変換作業のように感じられてきて、つまらなく映るようになってくる。


何かを知ろうとする、ということ余裕の有無、ということもあるが、自分が時間的にも空間的にも「外」とつながろうとする意識自体が、何らかの救いや力となるのだろうと思う。
自ずと自らを拡張していく、いい意味で自分を客観化するような感覚でもある。


慢性的な寝不足からくる疲労感が、影を落としている。
車内でも開いた本が2ページと進まないうちにひどい状態で眠りこけてしまう。ちょいちょいといろいろなものを覗き見て摘み取ってくるようなフットワークも低下している。
必要に迫られて読む、「関する本」も、さっと読めていないし、そういうことができる感じがそもそもしない。


前の職場にはAさんという、仕事もきちんとする傍ら、たくさんの本を読み、好きな勉強を別に展開している、ひそかにお手本にしようと思っていた大先輩がいた。
「研究」の場を離れて教員となったときに、ある種の「諦め」をどこかで感じていたのだが、Aさんとの出会いは、努力と工夫次第で、諦めることなくいくらでも勉強はできるのだな、と目を見開かされる思いがしたものだ。
長く、年賀状でのやり取りだけになっているが、ふと久しぶりにAさんを思い出して、こんなことではだめだなあ、と思った。


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