ひとつの対応


新型インフルエンザによる混乱は収束に向かいつつある。


騒動の渦中で、相方が体調不良で実際に医療機関にかかったときの対応の様子などを見るにつけ、府県ごとに感染者数として挙げられている「数」や感染の「把握」というのは、かなりいい加減なものなのではないかと感じている。
神戸や大阪が感染の多い、あたかも「汚染地域」であるかのように扱われたのは、迅速にそこそこ充実した医療機関と検査体制で、馬鹿正直に検査をやって感染者発見に努めてしまったためなんじゃないか、と思うことすらある。


「県内初の感染者」が自分の患者から出る、ということを明らかに「面倒なこと」と感じる空気が、周囲の医療機関からは感じられた。
ある高校では、かなりの数の疑わしい欠席者が出たのに、大阪で感染者の把握のために行われた全数検査とは程遠く、ごく数件のランダムチェックで、それがシロだったから、全部シロとする、というようなことがとられていたりする。
小学生の保護者の間では、疑わしくても、医者にかかって検査なんぞ受けてたまるか、という声が少なからずあったことも身近で聞く。


今回の新型インフルエンザは(少なくとも現段階では)弱毒ウイルスであり、慢性病や妊娠などと重ならない限り大した症状にはならないようである。
このこと自体は大変幸いなことである。


ならば黙って寝て直してしまった方がいい、あるいは黙って治療してしまった方がいい、と医者や保護者が考えてしまうような状況ができている。
大した症状にならない病なのに、罹ったとなれば、隔離だ、待機だ、感染者が出たとなれば、学校さらには府県単位で、外出の禁止、外部からの立ち入りも自粛。
子供の親にすれば、命に関わるわけでもないのに、「そういう事態の原因」として、命に関わるかもしれない「いじめ」の格好の原因を自分の子供にわざわざ作ってやることになる。


疫学、というのは、必要不可欠な営みだが、大変地道でコストとの戦いも厳しいらしい。
感染の把握のために体制を組んだ取り組みは必要であるし、順次情報が周知されるような体制もまた大切である。
しかし、その取り組みとは別に、「騒ぎ」ともいえる公的機関も含めた様々な社会組織の反応には、疑問のあるもの、黙っておく方が賢明と思わせることにつながるようなもの、が少なからずあったのではないか。
強毒ならどうなっていたか、という「備えの充実」の必要性の議論とは別に、「今回の病」への対応として、とられた「対応」が適切だったのか、という検証は必要な気がする。


ちらちらとそんなことを思いながらネットを観ていたら、(K大学が授業から部の対外試合まで含めてすべての活動を停止となったことを受けて、うちのクラブにも何か指示が必要かしら、と確かめにいった、というのが実情。)母校は、ちょっと他とは一味違う対応を示していた。
(【重要】新型インフルエンザに対する本学の方針について(第4版):http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news5/2009/090520_2.htm


これを、おもしろく紹介しているブログもあった。
(てっく煮ブログ:http://d.hatena.ne.jp/nitoyon/20090523/h1n1_flu_kyoto_u


ひとつの落ち着きどころとして、参考になるもののように思う。


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